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 師走の入り、俗世間は忘年会とか、クリスマスとかで、何かとやかましい。「師走」は先生も走るほどの忙しさから名づいたらしいが、貧乏大いに暇ありの愚生には、まったく関係ない。暇に任せて、大喜利を。12月とかけて「ウルトラマン」と解く。その心は「どちらも、シュワッツ!!!」。あぁくだらない。最近はめっきり老境に入り、確実に痴呆も進んできている。
 くだらない日々を送っていると、浅沼さんから『俳諧無心』会報第八号が届いた。ゼミ生の秀句が寄せられている。読んでいるうちに少しは若返ってかも。まぁ、諸君の若さを貰おう。印象に残った作品を。


 とどまればちちろ鳴いたる列車かな 亜樹
 秋うらゝ小江戸の鐘を振り返る 友郁
 秋桜や置けるギターの残響音 正考
 りんご落ちて生きてることを自覚する 智南美
 秋茄子の皮剥いでいっぺんに好き 桃子
 鶏頭や庭の狭さを知らぬ稚児 真那美
 横浜の霧笛濡れつつ夜景染む 澪
 神無月街は橙に染まりけり 四龍
 束の間の終わりは近し夜学生 園子
 台風や曲がれる角の多き道 絵莉子
 海原に生まれ野分として吹ける 璞
 休講の文字所在なく青鬼灯 澪


 
 愚生は俳句は作らない、元日に一句だけ作って、年賀状に書き添えるぐらい。だから、俳号は廃人28号である。しかし俳句には五月蠅い。俳句は周知のとおり、感情を述べない。さらに余韻を残す。つまり言い過ぎないことが肝心。禅に「不言の言」とあるように、俳句も同様であろう。読者に委ねるものが大きいほど、句も大きな広がりがある。浅沼さんのご指導よろしく、ゼミ生諸君の句は時には、芭蕉や蕪村よりもいい句がある(ちっと褒めすぎか)。松永貞徳は俳諧修業に一日一句を作ることを奨励。高弟の北村季吟もそれに従って、毎日句作っている。毎日作ることは、ゆったりと変わる季節を、生活のなかで敏感にとらえることである。それが大切。諸君も気を確かに日記代わりに句作りを。それと、少子化対策のために子作りも励んで欲しい。愚生からのお願い。
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 浅沼さんから『俳諧無心』会報第七号を送ってきて戴いた。この場を借りて、浅沼さん、浅沼ゼミ生諸君に御礼申し上げるしだいである(えらっそな書き出しで、悪しからず)。
 1ページは「第二五回伊藤園新俳句大賞入賞・入選作寸評」と題して、ゼミ生が入賞・入選した作品に対する浅沼さんの評が載せられている。
 佳作特別賞から
 短夜を回す浮世の観覧車 澪
浅沼評「短夜はもとより秋の夜長とて操り「回す」に如くはなし。鶴翁よろしく句柄大きなる作とや言はん。」
 松明けや玉子豆富へ匙入れる 亜樹
浅沼評「松の内の「晴」を玉子豆腐の「褻」へ転じたる俳諧なり。」とし「微に入り細を穿つ佳句」とする。
 佳作から
 喜んで暴れる河豚の刺身かな 智南美
浅沼評「料らるゝ夢応の河豚、はたまた当世の居酒屋が若衆の「喜んで」なる合の手やも知れず、皆して暴れをる態なりや。をかし」
 磁石だけ増えて生家の冷蔵庫 理
浅沼評「省略の効きたる佳句なり。其のかみ冷蔵庫が扉に掲げし手書きの献立表、期限切れのクーポン……疾うに捨てられ、残るは磁石のみ。久方ぶりに訪ひたる生家、平泉のごとく、兵どもが夢の跡なるらん。」
 花疲れ川の長さを知らぬゆえ 祥子
浅沼評「一見、因果律にとらはれたる句のやうなれど、さにはあらず。川の長さのみならず、疲れをも知らぬ青春の、知らぬがまゝに過ぎけるを、懐かしく言ひとりたる佳句」
 未だ抜けぬ父の訛りや初笑 絵莉子
浅沼評「父の訛りの、娘にとりつき、大学四年になりても抜けぬとあらば、別の意味にして切なき初笑なるべし」  

 これらを拝読し、浅沼さんの句評は、江戸初期に流行った「句合」の評、とりわけ「貝合」の芭蕉評を想起する。その文体はまさに俳文の調子で意味深長。原句よりも句評の方が面白かったりする。
 暉峻先生もおっしゃっていたが「最近の俳句はどうも真面目になり過ぎている」と。愚生も同感である。浅沼さんの句評は、ここまで深い入りして読むと、俳諧の本質である「笑い」が炙り出されてくるような気がする。その笑いとは「哄笑あり」「薄笑いあり」「微笑あり」「皮肉な笑いあり」と、まぁ、笑いが止まりませんな。
 愚息(小5)も佳作に。「土けって卒業生は走り出す」という平凡な句である。「走り出す」を、愚生なら「逃げ出す」にしたかも。親に似なくて良かった、と褒めておきたい。
 また『俳諧無心』第七号には「第六号投句鑑賞」が載せられん、句友の句を自由闊達に綴られている。俳句は作り手ばかりが注目されがちだが、鑑賞する楽しみもある。鑑賞は作者の意図など気にせず、鑑賞者が想像力を総動員して読むか。つまるところ、自由に鑑賞することが許される。言い換えれば、鑑賞者の鑑賞力が問われたりも。本紙に載せられた鑑賞は、独自の視点から読んでおり、好感が持てる。浅沼さんの指導宜しく。十七音がこうたら、季語がどうたら、切字がぐうたら……と、あまり真面目に考えなくても。ただ、俳句の原点は滑稽であることから、もっと楽しく俳句を作り、楽しく(時には嫌味を)鑑賞して欲しい。そうすれば、諸君の数十年後の老後は、きっと明るい。間違っても、愚生のように、徘徊老人にはならないように。
 
 立秋が過ぎてもまだ暑い。夏は、死んだふりをして愚生は生き延びている。
 7月下旬に『俳諧無心』第六号が、浅沼さんから届いた。愚生は、ぐうたらな生活を送っていのに、こうして俳句作りに勤しんでいる人が思うと、同じ人間とは思えない。もはや愚生は人間でなくなったような錯覚に陥る。いや、錯覚ではないかもしれぬ。ぎっく。ともあれ。秀句を選んでみた。



  新樹光錆びた鉄路に耳をあて 璞
  夏蝶の地平線を可視化せり  正考
  夏の月あれば引きたくなるトリガー A子
  絶望へ恋をするたび蝉が死ぬ 有姫
  あをしぐれ背中にたくはふ航空機 塩人
  朝顔や床屋の息をひそめをり 友郁
  滝風やワイシャツの襟うらがへる 亜樹
  手で話す人四本の白い塔 桃子 
  水平線ラムネのためにある小径 澪
  竹婦人ひとり忍んで水を飲む 綾
  髪洗うときの呼吸の浅さかな 絵莉子
  夕焼や帰路と呼ぶのはあなただけ 智南美
  騒ぎだす公園のかげ夏めいて 楓
  白無垢は白々しきと七変化 四龍
  淋しさの淵腰かけて西瓜食ふ 真那美

 浅沼さんのご指導よろしく。
 璞さんの句「新樹光錆びた鉄路に耳をあて」を拝読し、愚生がまだ若かったころ作った句を思い出した。「秋が来る線路に耳をおしあてて」の句を作ったのは、もう30年ぐらい前なのに、ふと思い出たのは、何たることか。璞さんの「新樹光」と「錆びた鉄路」の組み合わせはすこぶる鮮やか。おそらく璞さんは記憶の一齣を詠んだのだろう。が、まばゆいばかりの新樹光が目に潤いを与える。なんだか目薬の宣伝のようだが。今号ではもっとも光っている句だ。
 有姫さんの世界は愚生好み。きっと美人に相違ない。
 綾さんの「ひとり忍んで水を飲む」は意味深長。竹婦人(汝は竹婦人を知っているとは、綾さんは戦中・戦後派か)を抱いて寝るのは、夏の楽しみ。竹婦人を抱くより「よろめき夫人」に抱かれたい、と思うのは愚生の限らず、璞さんも同じだろう。つまり、真夏の世の夢というわけ。※「よろめき夫人」を知らない人は三島由紀夫の『美徳のよろめき』を読むべし。
 四龍君の「白無垢は白々しきと」は正鵠を射ていて、よく女心を理解している、と感心した。その心は「七変化」というわけだが。「七変化」は紫陽花で、ジュンブライドの季節にふさわしい。そこで白無垢を連想するということになる。それをさらに飛躍させ「白々しきと」を呼び込む点は、なかなかのテクニシャン。愚生は先日、林望訳「源氏物語」を読んだが、もしかしたら君は、光源氏になれるかもしれないぞ。 気を確かに。
 手が震えてきた。そろそろ、アルコールが恋しくなってきた。とてもよき句があり、ここでは詳述できないのは残念。ではこの辺で。
 
 
 
 暑さに負けずに句を作っている姿を想像するだけで、元気をもらったような気がする。愚生の嫌いな言葉だが「継続は力なり」で、次号も楽しみしている。 


 
 
 『俳諧無心』会報四号拝読


 『俳諧無心』会報四号が浅沼さんから届いた。秀逸句が多くあり、拝読して楽しいひと時を過ごさせて戴いた。勝手に句評してみよう。
 春の糸うごめている物干し竿   塩人
 くちづけの代わりとしての春苺  正考
 八割はおんなじ名字里笑う    智南美
 飴玉を噛み砕いては春北斗    理
 ひし形に空切り取って雛流し     桃子
 のどやかに歩けば何か鳥過ぎる  璞
  
   塩人君の句は「物干し竿」に「春の糸」が蠢いてくるのを発見した。俗としての美を的確にとらえた。「物干し竿」に何が干してあるかは、気になるところ。「塩人(ソルト)」の名に相応しく、塩を一つ摘まみ加えた、いい塩梅の句に仕上がった。
 正考君の「くちづけの代わりとしての春苺」は、苺から、うら若き乙女を連想させる。最近の苺は「♡💛乙女」のなどといったよう名前がついてる。このネーミングで騙される漢は、まさに愚者だ(愚生のことか)。しかし、この句は苺を「くちづけの代わり」としている点が、まさに青春まっただ中。愚生が若かったころ、唇を「たらこ」とか「明太子」とか揶揄していた。それはともかく。来年は「代わりとして」「」ではなく、本物の唇であるよう、ご健闘をお祈りしたい。「たらこ」でも「明太子」でもいいではないか。成就した折は、赤裸々に体験談をレポート十枚以内に提出のこと。
 たいがい、過疎の村では「八割はおんなじ名字」であるが、「里笑う」の下五が効いている。このような句を詠める人は、八十路過ぎの老女だが、作者の智南美さんは、うら若き乙女。もしかしたら年齢偽装の女学生。まるで俳句歴60年のような風格が感じられる。きっと、智南美さんはトランジスターグラマーに違いない。
 「飴玉」をガリッと「噛み砕い」た時の爽快感と「春北斗」との取り合わせが妙味。よく読めば、どことなく春愁を感じさせるところが、この句の懐の深い世界。小指の思い出ではないが、噛めば噛むほど、奥が深い。この句によって、理君の歯が差し歯でないことが証明された。
 昔は雛を川に流した。それが雛人形が豪華になり、やがて飾雛に変わったのは江戸初期。雛祭では菱餅を食が、「ひし形に空切り取って」というように、青空をひし形に切り取って、菱餅に見立てたのは、桃子さんの食欲の賜物。「おひつごとおかわりしては」の句が裏付けとなっている。桃子さんに、高脂肪・高カロリーのスイーツ一年分とタニタの体脂肪計を贈りたい。
 「のどやかに歩けば」棒に当たらず、「何か鳥過ぎる」と詠む、璞さんはいつから哲学者になったのだろうか。意味深長な句とは、不意にその光景が理解できるもの。今宵は、璞さんの句を肴に温燗で一杯献上。璞さんは『西鶴という俳人』を上梓し、饒舌だけではなく、ご健筆でなにより。第4弾「西鶴論」が俟たれる。
 まだまだ、取り上げたい句は多い。が、酔いが回ってきたので、印象に残った句を挙て、これにて擱筆。擱筆。

 春眠の戸を叩くなり雨の音   四龍
 エンターキーもどる反動冴返る 亜樹
 斑雪ながむる街の温泉かな   友郁
 戀猫の足らぬことばに敗れたり 祥子
 春日森鹿の目ぞ知る春霞    澪
 この穴は今も昔も蜥蜴出づ   綾

 追伸
 桃子さんの句評が遅れてしまったのは、「十字路に」の小学生の元気な姿、「おおひつごと」の豪快さは捨てがたく、選句に迷っているうちに、ついアルコールの誘惑に負けてしまったからだ。 人生、女と酒に要注意!!
 愚生の句評はあてにならぬことは、言うまでもない。浅沼先生のそれとは大きく異なるだろう。要するに、愚生の偏屈さからくるもの。「獺祭主人の退屈日記」を「偏屈日記」に変えねばならないかも。
 愚生の失礼極まる句評にめげずに、毎号秀句が登場するのは、若者たちの「理由なき反抗」が、そこにあるからだろうか(君たちはこの映画知らないだろうなぁ)。それとも愚生の何とかの冷や水か。支離滅裂であしからず。
第7回宗祇白河紀行連句大賞受賞記念


 風邪が治らぬさなか、浅沼さんから朗報が届いた。39度の熱と格闘しつつ、拝読した。
 『俳諧無心』会報参号のメインタイトルには「第七回宗祇白河紀行連句賞始末―宮崎綾の快挙」とある。この連句賞は、「所定の発句に脇と第三を付け、いわゆる三つ物を競ふといふ連句ならではの催し」とのことで、「ゼミや実習の前期課題としてみんなで応募し」たそうである。
 宮崎綾さんが出藍の誉れのごとく、第7回宗祇白河紀行連句大賞を受賞した。こりゃすごい。おめでとう。表彰式の師走の第二日曜日は、まさに綾さんにとって、正月と盆とバレンタインデーとクリスマスとエープリル・フールが同時に来たぐらいであっただろうか。
 さっそく受賞作を勝手に吟味してみよう。

 しらかわの古歌を偲ぶやほととぎす  (課題)
  終は石碑となりし卯の花        綾
 狐火の素は宇宙の端にあり       綾

 
白河の関は、五世紀から九世紀ころまで、蝦夷に対する防衛拠点として、関所が設けられた。奥州三古関とは、白河・勿来・鼠ケ関をさす。とりわけ白河の関は、多くの古の歌人が訪れ、歌を詠んだ。かつて芭蕉も『おくのほそ道』行脚で白河の関と訪れた。が、名句は遺せなかったことは有名。
 脇句は発句の夏→夏、「ほととぎす」に応じて「卯の花」を配した。この連想は和歌では常套。『千載集』夏・藤原季通の哥「見で過ぐる人しなければ卯の花の咲ける垣根や白川の関」が綾さんの脳裡にあった?だろう。古歌は碑となり、その傍らに白い卯の花が咲いている。綾さんのこの句も終は石碑になることを希ふ。
 第三、狐火で冬に転じた。狐火は墓場などで青白い光が…。いっけん妖怪趣味であるが、「狐火の基は宇宙の端にあり」と言いきったところにSF世界まで飛躍させるが「端にあり」と説得力は、十分。オリジナルな世界、異才を感じさせてくれる。
 脇から大胆に飛躍させたころが、綾さんの三つ物の妙味。連句はこうした前句からの転じが大切。綾さんの第三の離れ業は、鉄棒の離れ業のごとく、C難度にさらに捻りを利かせた新進の迷句である。
 これを機に、連句を作り続けてほしい。ところで、副賞が「商品券」とのこと。愚生は美貌と商品券にはめっぽう弱いことを付け加えておきたい。

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