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 9月に文芸同人誌『Pegada』11号を獺祭堂で作成した。このブログでもすこし触れたが、その時は発行前だったので、詳しくは書かなかった。
 この文芸同人誌は、小田急線百合丘駅前にある古書店「アニマ書房」の店主、春田道博氏が発行人となり、2004年秋に創刊した。この古書店は、長年サラリーマン生活から終止符を打ち、2000年に開店した。人文科学の書物を中心に展開し、とりわけ「岩波文庫」「講談社学術文庫」は、全国の古書店でも一番の品ぞろえ、と春田氏は胸を張る。
 この店を知ったのは、小生が、7年前に相模之國柿生に隠棲した頃からである。7坪ほどの店内であるが、清潔感あふれ、いつもクラッシック音楽が流れている。常連客が春田氏と和やかに長話をしていることが多かった。
 小生にとって、この店が隠れ家的存在になったのは、それほど時間を要しなかった。爾来、暇つぶしに訪れ、そこで多くの恩恵を蒙った。購入した本を思いつくまま記すと『荊楚歳時記』『芭蕉と杜甫』『芭蕉、蕪村、一茶の世界』『歌仙の世界』『野ざらし紀行評釈』『日本の傳統色』など、数十冊を超える(安い本ばかりでごめんなさい)。が、冊数はそれほど多くないが、どの本も座右に置いて、繰り返し読んでいる。
 はじめて来店した時に『Pegada』を購入し、いらい何度か読後感を送ったりもした。川崎市では唯一の文芸同人誌だからだ。この同人誌には知る人ぞ知る著名な方が同人となっている。文芸評論家の山田篤朗氏や新潮社の元編集者の桜井氏がいらして、松本清張の回顧録は毎号、興味深く拝読させて戴いる。創刊からの同人である若手(?)の杉本純氏は小説を発表している。先日メールを戴き、その文章から将来を予感させる雰囲気が感じられた。春田氏の胸にするどく響く詩はまさに珠玉である。
 表紙は杉本勇氏の版画である。11号の表紙は、北八ヶ岳の山小屋(高見石小屋)の窓を覆うように積み重ねられた薪と、背負子が置かれている一幅の風景。薪ストーブから煙が漂ってきそうな絵である。茶色をベースに、色を重ねられた版画を、モノクロの表紙にするのは惜しい気がした。表紙を作成する際、薪と同系色の背負子を浮き出すに苦労を強いられたが、その甲斐あって、立体感のある山小屋の風景が映し出された。
 今日は10月31日。アニマ書店が閉店をする日である。その話を知ったのは真夏の事だった。リーマンショックの影響さらに福島原発により、客足が途絶え、業績が悪化したという。秋までに売り上げが以前のように戻ればと願っていたが。
 「アニマ通信」によると「アニマ書房は人文科学の書物を通して、「歴史を学ぶことの大切さ」を訴えてきました」とある。この店の経営理念は閉店後も貫かれるだろう。そしてその言葉は忘れることはないだろう。30日に春田氏とお会いし、表情は明るかった。店が忙しくなる前は、この同人誌を大学生協に卸し、和光大学では良く売れたそうである。今後はまず、川崎市内の大学生協へ直接赴いて『Pegada』を置いてもらうそうである。閉店後、本はインターネットでの販売のみとなり、『Pegada』は引き続き発行される。創刊号から第11号 各一冊500円である。第11号160ページ。
 『Pegada』は「アニマ書房」のホームページ或いは下記住所から購入することが出来る。
〒215-0003 川崎市麻生区高石5丁目3番15号
                  春田道博
Tel&Fax 044-953-2050 

 
この同人誌のタイトル「Pegada」とはポルトガル語で「足跡」を意味するという。その足跡は未来へと続くだろう。


 
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 五月の初めに一通の手紙を書いた。
 それは『近世文学研究』第3号に、尾形先生の遺稿集について何か書いて戴こうと思い、中野沙惠さんに原稿依頼のためであった。手紙の一文に中野さんのご著書『氷柱の鉾―四季の古俳句』について書き添えたのがきっかけで、五月末に原稿が届き、しばらくしてご著書を恵贈していただいたのは、梅雨の最中であった。見返しには、それはそれはしなやかな筆遣いでご署名がしてあった。猫の額より狭い我が家の庭には、白薔薇が、馥郁たる香りを漂わせていた。
 本書のあとがきによれば、昭和59年5月に排誌「未来図」に「古典俳句鑑賞」と題して8年にわたって連載をしたものを上梓したとある。安永・天明期の俳句を中心に、芭蕉・鬼貫・素堂・蕪村・一茶・白雄などの豪華ラインナップである。

  碁を崩す音幽霊なり夏木立  嵐山
 中野さんは「いずれのあたりで碁をうっているのかわからないほど茂りあった夏木立のさま。音が幽かであるだけに、木立に囲まれた邸宅の奥深さを想像させる句」と鑑賞されている。短い文章ながら、的確に捉えつつも、さらに読者をその場所へと誘う。
 緑陰のその奥に、ひっそりと建つ一軒の家で、碁盤に向かう姿が目に浮かぶ。小生は何年も前に、真夏に幻住庵へいき、静けさと清涼感がそこに満ち溢れていたことを思い出す。夏木立に囲まれた邸宅から、碁を打つ幽かな音を聞きつけた作者、嵐山の心の静けさが伝わってくるだろう。「木立に囲まれた邸宅の奥深さ」に、夏の昼下がりの長閑な時間がゆったりと流れている。

  鳩吹くや是からものの枯るる声  素丸
 日本は四季がはっきりしている。ゆえに季節の推移がゆっくり進んでいることになる。とりわけ秋は人の心を物悲しくさせる。「秋は実りの秋でもあるが、また、万物を凋落させる季節でもある。鳩吹く声は、万物が枯れていく季節を象徴する音だとも言えよう」とはまさにその通りである。「nature」の訳語は「自然」であるが、では「自然」とは何かと問えば、花鳥風月や山川草木をイメージするだろう。老子のいう「自ずから然り」とはだいぶ異なるが、「万物が枯れて」いく鳩吹く声に、寂寥感が漂う。自然と向き合ったとき、人は何と無力で愚かな存在なのであろうか。

  あと低きすわり心やあきの雨   蒼虬
 「秋の雨のもつイメージは、明るいものとはいいがたい。清澄な秋の季節の中で、秋に降る雨だけは、かげりをもっている」と、中野さんは秋の雨を凝視している。秋の雨は「かげりをもっている」と感じるように、季節の風物に対して心を開いておられるから、俳句鑑賞がなされるのである。この句はそのような研ぎ澄まされた心で詠まないと見過ごしてしまう。「あと低きすわり心」とは、不安定とか落ち着かない心の様子をさすのであろう、が秋の雨を「かげりをもっている」とみることによって、この句の味わいの深さが違ってくる。
 
 中野さんは、近世初期はもちろんこと、『袖かがみ』『四季の持扇』『年浪草』など数多の歳時記をもって考証されておられる。原稿用紙の升目にしなやかな筆遣いが目に浮かぶ。そも文体には、仔細なところまで心いき届いた考証、鑑賞には読者に押し付けることなく、懐のふかさが感じられる。
 『氷柱の鉾―四季の古俳句』はまさに芸術品である。

 
 

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