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 小春日和の昼下がり『雅俗』復刊の朗報が入って来た。
 貴誌は平成15年に十号をもって休刊となっていたが、光陰矢のごとく、早いもので8年の歳月が過ぎたことになる。その間に日本の文化は大きく変貌を遂げた。決して悪いことではないが、いくつかの大学では「文学部」や「日本文学科」等の名称が消えた。昔ながらの「哲学」や「文学」や「経済」といった領域から、より多様化した学問へと導いていった。電子書籍の台頭。リーマン・ショックや先頃の東日本大震災があり、良心的な書肆や古書店が廃業した。街を彷徨すれば、古書店の早稲田通りは、その姿はめっきり減った代わりに、ラーメン屋の街へと。悲観的なことだけではない。老舗の古書店がいまだ健在であることは、救われる思いである。このような状況のなかで、『雅俗』の復刊の朗報は『近世文学研究』を編集をする、小生にとっても喜ばしいことである。今年酒の季節と相俟ってお酒がすすむ。『雅俗』の復刊の趣旨は以下のとおりである。

いま私たちを取り巻く状況を見渡してみれば、『国文学』や『解釈と鑑賞』、そして『江戸文学』の廃刊が相次ぎ、文学研究そのものが元気がなくなっているように見えます。(中略)学界を下支えする専門誌の存在は、私たちの研究発展のためには、やはり必要だと考えます。(中略)新しい『雅俗』では、以下のような新機軸をく展開し、学会をリードしていくような雑誌にしていきたいと考えています。
 ・同人以外の会員も投稿権を有する、開かれてた雑誌
 ・歴史・思想・美術史など、隣接領域も積極的に取り込む。
 ・学術エッセイ、座談会録など、同人誌にしかできないコンテンツを充実する。

 数年前に学会の二次会で、軍記物語を専門にするKさんと相席になり、何らかの話から、なぜ「岩田書院」が元気なのかという話題になった。Kさんによると「岩田書院は歴史や民俗学を専門にしている」からだと切り出した。「ぎっく!」酔いがいっぺんに醒めた。つまり歴史や民俗学は、アマチュアの方が多いので、研究誌が売れるのではなかろうか、と言うのである。目から鱗とはこのことを言うのか。酔いに任せて千鳥足で想像力を働かせれば、それらの学問には、そのような広い裾野をもち、その方が研究誌の定期購読者となり、研究書籍の読者になっているのだろう。だから研究も盛んなのであろう。翻ってみれば、文学では、とりわけ古典文学になると、ごく限られた研究者のみという状況かもしれない。
 小生の拙い考えでは、古典文学は文化遺産であり、それゆえに(お叱りのメールがくるかも知れないが、そこはおおらかに)、ある意味では文学研究にも大衆化が必要なのではなかろうか。アマチュア研究者と言っても侮ることなかれ。たとえば、歴史や民俗学だけでなく、趣味的の領域かもしれなが、天文学ファンや考古学ファン、さらに鉄道ファンなどが大勢いることを忘れてはならないと思う。某大学では、毎年「大人のための古典学」と称して公開講座を開いて、多くの方が受講しているそうである。現役の学生よりも熱心に。文学研究の大衆化と言っても研究の質を落とすことではない。むしろ、裾野を広げることによって、研究者が気が付かなかったことが、浮き彫りにされることの期待は、小さくないだろう。江戸時代の文学になると民俗学的な要素がかなり含まれるし、京・大坂・江戸といった中心都市と地方都市との異文化の交流が盛んに行われた時代でもあるから。敷居が高い学会や文学研究に風穴を開けみては如何か。開かれた文学研究が求められるゆえんはそこにあると思うのだが。
 「文学研究そのものが元気がなくなっているように見えますというのは実感なのか。井の中の蛙であろう、小生の知る範囲では、むしろそうした状況だからこそ、研究者には強い志が伝わってくる。「就活」で忙しい学生に対して、熱心に丁寧に教鞭を揮っておられる先生方のことを忘れてはならない。事業仕分けで、スーパーコンピュータが俎上にあげられたとき「なぜ世界1位でなければいけないのか。2位でもいいのではないか」といった発言は、記憶に新しい。R研究所への天下りを棚において、言語道断ではなかろうか。貧すれば鈍する。そんな発想ならば日本の文化はどこへ行ってしまうのか(酔いが回ってくると余計語気が荒くなるが)。蓮舫さん、このブログを読んでいたらご一報願いたい。
 それはともかく、古典文学は我々の文化遺産であるという立場から、もっと文学研究が元気になることを願う。研究者はライフワークとして文学研究を行っている。ならば、それを支えることを小生のライフワークとしようと思ったのが、ちょうど平成15年である。奇しくも『雅俗』休刊になった年である。小生は文学研究者のために独活の大木にすぎないが、少しでも役になればと思い『近世文学研究』の編集を無償で行っている。お金では得られない喜びを感じている、と鬼籍にはいるときに思えればそれでいい。『雅俗』の復刊は同業者?にとって、とてもうれしくもあり、雅俗の会の勇気ある決断である。今日は秘蔵(もちろん「獺祭」で)の今年酒で乾杯!!
 

 
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  柹くへば鐘が鳴るなり法隆寺
 柿のおいしい季節である。
 小生の拙宅は相模之国柿生にある。近くに王禅寺というお寺があり、そこには甘柿の原木があるそうだが、写真でしか見たことがない。その柿の名は禅寺丸柿という。赤ちゃんの握り拳ほどであるが、とっても甘みの濃い柿であるが、ほとんど知られていない。江戸時代では、多く生産されていたそうだが、今ではこの柿生でも希少の幻の柿である。小生が柿生に隠棲した折に、禅寺丸柿を植えて八年経つ。昨年、初めて6、7個ばかり実った。そのうち2個は甘かったが、他は渋柿であった。今年は2個だけ。ともあれ、柿生という地名(?)は、そこから来ているらしいが、明治期頃に付けられた地名だが、地図をみてもそんな町名は見当たらない。「柿生」と冠した固有名詞は若干残っている。「柿生小学校」「柿生駅」「柿生郵便局」など。
 柿と言えば正岡子規のあの句を思い出す人が多かろう。
 今朝、和田克司先生から、『近世文学研究』の編集のねぎらいの言葉が書かれたメールを戴いた。
 和田先生は高名な正岡子規の研究家で『近世文学研究』第3号に「陸羯南の俳句稿と子規」と題して、論文を寄せて下さった。羯南が、初めて子規に会った様子を「浴衣一枚に木綿の兵児帯、いかにも田舎から出だての書生ツコであつたが、何処かに無頓着な様子があつて」と書き記している。二人の交遊は浅くはなく、互いに刺激しあって、俳句へ傾倒していったのであろう。和田先生の論文は、羯南の俳句稿が、およそ百年ぶりに発見されたのを機に、貴重な資料の報告とともに、詳細な検討がなされ、子規の俳句観を知る上で、貴重な刺激的な論考である。俳句稿は、和田先生の調査検討によると、明治26年11月のはじめの頃とされる。そこには12句が載せられているので、いくつか列挙しよう。

 侘人のかさすへらなり冬の菊
 時雨るるや不破の関屋の板庇し
 穂薄にはてはありけり富士の山
 12句のうち6句が「日本」の文苑欄に掲載され、その6句のうち子規の『獺祭書屋俳話』増補改訂版に所収。また12句のうち7句が子規の『なじみ集』に記載されているとのことである。『近世文学研究』第3号所収「陸羯南の俳句稿と子規」は、子規の俳句観並びに子規の取り巻く交遊関係を知る上で有益で、しかも興味深い論考なので、是非一読願いたい。また、本誌創刊号にも「藤野古白と正岡子規」の優れた論考なので、子規ファンは必見である。

 この日記を書きながら思い出した。数年前に(記憶が曖昧だが)、NHKの番組で、和田先生が登場しておられ、子規が「柹くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を作った日は雨が降っていたことが、当時の史料から検証し、よってその句は、旅の途中で得た風景を思い浮かべながら詠んだのであろう、ことを伝えていた。


追伸
和田先生からのメールには、御自身がテレビに出演される番組が記されている。

NHKにて、過日の「坂の上の雲」関連番組の全国版再放映が決まりました。老生関係分を注記しました。
12月2日(金)午後3:13~3:58 『ローカル直送便』(全国放送)、『しこく8』『独楽のはぢける如くなり ~子規の愛弟子  虚子と碧梧桐~』和田克司一部出演

こちらも合わせてご覧戴ければ幸甚である。
 江藤淳の名著といえば『漱石とその時代』であることに異論はあるまい。だが、小生は彼のエッセイ集に興味深く拝読した。エッセイは、その著者の素顔や私生活に触れることが出来るからで、特にここ数年はエッセイ集ばかり読んでいる。
 小生が書生だった頃、或る出版社で仕事をしていて、井上靖、井伏鱒二、吉増剛造らと少なからず接触があった。江藤淳もその一人である。おぼつかない記憶を辿ると、鎌倉の来迎寺のそばに「江頭」邸があったような気がする。とある年の秋から冬にかけて、著作や書類を届けるのことが何度かあった。出掛ける日は、午前中にデスクワークを済ませてから、鎌倉へ行き、その帰りは決まって葉山や江の島へ立ち寄るのが楽しみであった。夕暮れの湘南の海はそれ以来好きになった。
 午後2時ごろの「江頭」邸は、水を打ったように静まり返っていた。いつも奥様が出迎えて下さった。が、あれから30年も過ぎ、どんな顔で、どんな声だったか、憶い出せないのが残念である。いつもお宅へ窺うと、江藤淳は執筆中なのか、そのころ東工大の教授であったので留守だったのか、顔を出すことはなかった。用件はすべて奥様が心得ていた。その代わり、時として小生が「江頭」邸を後にすると、男の声がしてきた。振り返ると、2階の窓から大きな声で「ありがとう、ごくろうさん」と、江藤淳はいつまでも手を振ってくれた。その声はいまだ記憶の中にある。
 先日、急に江藤淳の著書を読み返してみたくなり『人と心と言葉』を手に取った。この本は新聞や雑誌に掲載されたエッセイを編んだものである。このエッセイ集には、小林秀雄、山本健吉、川端康成、野上弥生子、中村光夫などが登場し、素顔を垣間見ることができる。江藤淳は、犬が好きだったようで、愛犬について何篇か書かれている。意外であった。文士たるものは、猫が好きなのではないか、とずっと決めつけていたから。今思えば、この考えには、何の根拠もないことであるからにして、まあ、文士に一人か二人、犬派がいてもおかしくはないだろう。あまり多すぎるのも困りものだが。だがしかし、どうも腑に落ちない。政府はTPPの交渉をすることも重要であるが、小生にとってこっちらのほうが気になる。世の中の文士らに「猫派」か「犬派」か、世論調査してもらいたいのである。もし野田総理がこのブログを読んでいたら、ぜひ世論調査に、その項目を入れてもらいたいものだ。おそらく「わたしはどじょう派」と答えるだろうが(まずそんなことはないっか)。
 『人と心と言葉』には、漱石についてのエッセイがいくつか載せられている。たとえば「野上の小母様」のなかで、野上弥生子に漱石の声を尋ねる。
普断のお声はね、艶のある深いバリトンで、とてもいいお声だったわ。それがね、お謡をなさるときになると、とっても厭なお声に変ってしまうの。(中略)そりゃアもう下品なお声なのよね。どうしてあんなお声が出ておしまいになるのか、不思議でなりませんでしたよ
 野上弥生子の著作のなかで、それと同じようなことが書かれていたことを思い出す。よっぽど漱石の謡はひどかったことか。下手と云わずに「下品なお声」というあたりが、野上らしい。が、それの話によって、江藤淳は漱石の肉声を聞きつけたに違いないだろう。
 「入院と本」のなかで、あの岩波文庫が、若い読者のために新字新仮名に改めると聞いていたが、固有名詞まで改竄されていたのを知って「ぶっ魂消ざるを得なかった」とし、さらに「文化的虐殺にも等しい暴挙」と語るのは、江藤淳はそれほどまで漱石の作品をこよなく愛していたからであろう。漱石の声に関心を持つことも然り、漱石がどんな発音でしゃべっていたのかも然り。テクストを大切にしていたのは、漱石が書いた作品に一歩でも深く入って、漱石の素顔に迫っていこうとする、研究者としての態度であり、渇望であったからであろう。
 小生は、若い時は小説ばかり読んでいたが、馬齢を重ねるにつれて、読書の好みも変わってきた。食事に置きかえると、若い時は3食肉を食べても飽きなかったが、年齢とともに、脂ぎったものより、あっさりした蕎麦やお茶漬けが食べたくなるのと同じことか。ちっと違うか。とまれ、この『人と心と言葉』は、生前の江藤淳の姿が仄かに蘇ってくる。二階の窓から手を振る幻影を。もうあれから30年以上の時間が経っている。
文芸同人誌『Pegada』第11号目録

発行所「アニマの会事務局


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