FC2ブログ

プロフィール

獺祭堂主人

Author:獺祭堂主人
相模之國柿生隠棲
主夫兼編集者
アルコール常用者

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

お知らせ

①粋曜喫茶室編集『江戸文化カフェ』発行

リンク

獺祭堂のお客様

検索フォーム

RSSリンクの表示

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

 今年は寒い日が続いているせいか、小生は眠ってばかりいる。死んだふりして生きているのか。それとも生きているふりして死んでいるのか。気が付けば1月も晦日になろうとしている。この退屈日記も、寝てばかりいるせいで、さぼり気味である。
 新年早々、荒川有史先生より『くさくき』十二月号と『文学と教育』№212、215が届いた。
 荒川先生は国立音大の教授で、おそらく今も矍鑠と教鞭を揮っておられることだろう。
 『くさくき』には「芭蕉俳論おもいつくまま」が連載されている。今回で139回である。じつは小生もこの俳句誌をしばらく読んでいた。以前、印刷所で俳句誌『渋柿』や『連句年鑑』や短歌誌『街路樹』などを校正していた。その縁もあり『くさくき』を拝読するのが楽しみであった。そこには荒川先生の「芭蕉俳論おもいつくまま」はユーモア溢れ、平易な文章で綴られているので初心者でも解り易い。
 『文学と教育』では「西鶴と芭蕉」を連載されている。

さまざまに品かはりたる恋をして  凡兆
  浮世の果は皆小町なり      芭蕉
「その十」には「浮世の果は皆小町なり」の句釈が冒頭に書かれている。引用すると「謡曲のたんなるひきうつしではなく、芭蕉個人の半生の総決算がそこには反映されている。「衰病」に悩みながら、恋に生きることのすばらしさやつらさを自己の一身上につなげて表現している。(中略)はなやかさを底に秘めながら、落ちついた達観を表現刺激として、連衆のひとりに伝えている。(中略)「浮世の果は皆小町なり」という表現刺激にはある種の笑いを喚起するひびきがあり」とする一節は刺激的な文章である。洞察力が鋭く、そこまで言い切れるのは、荒川先生の長年の研究と、人生観が重ねられているからであろう。  芭蕉の七部集の注釈書はふるくからあるが、荒川先生の文章は、難しいことを優し言葉で、解りやすく書かれているので、読み物としても面白い。小生はブログで研究の大衆化が不可欠であると書いたことがあった。古典文学は文化遺産に他ならず、よってその面白さを享受することは、すべての人の権利でもある。が、必ずしも作品を読まれているとは限らない。
 研究も同じではなかろうか。読み物として魅力がなければ、どんなに優れた研究であろうと、だれも読んでくれない。『近世文学研究』には、さいわい深沢眞二さんと了子さんの連載、宗因の注釈は対談風に書かれていながら、詳細で周到な考察で、しかも読み物としても優れている。あたかも講義録を思わせる注釈である。これからも多くの読書子に読まれる注釈や論考を、研究者に希う。研究者のなかには難解な文章で書くことを美意識としている方もおられるが。古典文学研究者の裾野を広げる前に古典文学ファンがもっともっと増えて欲しい。そのためにも各大学の図書館で『近世文学研究』の定期購読をお願いしたい。
スポンサーサイト



 ここだけの話だが、小生は、年賀状を三が日に書くことにしている。数十年来の習慣である。小生は根っから無精者であることには、相違ない。が、言い訳をすれば、年末の慌ただしい時に年賀状を書く気になれないのが、最大の理由である。
 元旦に届いた人から、返事を兼ねて、年賀状を書いていくのである。つまり来ない人には書かないことになってしまう。松飾りがとれた頃にそれらをみて、旧友の誰それから届いていないと、あぁ、あいつも、ついに鬼籍に入られたか、惜しいことをした、と勝手に決め付けてしまうのである(このブログを読んで「勝手に殺さないでくれ!」という抗議のメールが届きそうである。この場を借りてお詫びします)。したがって、その当人には年賀状を書かないことになる。とすると、おそらく彼も小生が鬼籍に入ってしまった、と思っているに違いないだろう。 ある日、街中で偶然に出会うと「何だ。まだ生きていたのか」とお互い言い合う。そして長寿を祝して、酒を酌み交わすのである。
 獺祭堂には、今年も多くの年賀状が届き嬉しい限りである。
 若い頃は、年賀状をもらってもさほど嬉しいとは感じなかった。だが、人生の第4コーナーに差し掛かると、交際範囲が多岐にわたり、多くの方から戴く。年年歳歳その数は増えていく。そのなかには、大成して研究者として、或いは会社の重役として、或いは文筆家として、それぞれの方面で活躍されておられ、賀状をもらうと、なぜか心が躍る。いくつか紹介しよう。
 元法政大学教授の日暮聖さんの年賀状には、中央に写真があり、それをよく見ると「原発反対」の幟が掲げられている。原発反対の集会の光景だろうか。その左端にオレンジの幟があり、コメントに「オレンジの旗は法政です」と書かれている。思わずにやりとしてしまう。
 小生が編集をしている『近世文学研究』第2・3号に、宗因独吟の注釈を書かれた深沢眞二さん、了子さんの年賀状には「宗因千句、全注釈の成るまで、掲載させて下さい」とあり、思わず背筋を伸ばしてしまった(昼間から酒を呑んでいる場合ではないぞ)。そのコメントに励まされる。嬉しい限り。
 また、小生の交際をしている方のなかには、俳人が多くおられ、歳旦吟を載せてある年賀状がいく葉かあるので、その代表として、浅沼さんのものを(無断ですみません)紹介しよう。

    歳旦三つ物       曳尾庵 璞
龍の息のびあがりたる初霞
 左隻の虎は吼ゆる年酒
人々が集へば花も月も咲き

 歳旦吟という性格から大らかで宜しく、しかもほろ酔い気分に心地よい。浅沼璞さんの発句は、スケールが大きく、淑気満つる初春の空に、霞むそれを「龍の息」と見立てたのであろう。そして「霞」から脇の「年酒」が引き出されている。きっと小生と同じく、その息には、お屠蘇の匂いがするのかしら。元旦ならではの穏やかさが伝わってくる。第三は連衆が一堂に会すと、まさしく連句談義に花が咲き(花見や月見をしながら)酌み交わしている光景であろうか。小生が鑑賞するといつも酒臭くなるが。まぁ、ここはお許しを。
 小生は、若い時に少しばかり俳句らしきものを作ったが、ここ数十年は遠ざかって、読み手に回ってお茶を濁している。それでも正月ぐらいは五・七・五に戯れて、年賀状に廃句を書く。ことし年賀状には、
ありたつたスカイツリーやミよの春
の句を。自慢ではないが、自他共に認めるつまらぬ句である。
 昨年は3月の東日本大震災をはじめ多くの天災が、国内・国外で起こった。今年は復興の年になることは間違いない。が、それらの経験から価値観・人生観について考え直す年にすべきではなかろうか。小生も人生の第4コーナーに差し掛かり、少しばかり立ち止まって、残されたこれからの人生を見つめてみたいと思う。多様な生き方もいい。今年から小生の職業欄に「主夫見習」と書くのも悪くない。

| ホーム |


 ホーム