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 浅沼璞さんから、連句誌『れぎおん』77号を謹呈して戴いた。
 この雑誌の名前は、以前から聞いたことがあったが、実際に手にするのは、初めてである。編集兼発行人は前田圭衛子氏で、本誌は今年創刊から二十年を迎える、老舗の連句誌である。敬意を表したい。しかも季刊である。編集はさぞかし大変であろう。継続は力なり、と言うが、だがこうして二十年のあいだ地道に歩んでこられたことは、この雑誌に魅力があるからである。その魅力は、すぐに読書子が探りあてることができるだろう。その魅力を支えているのは、二十名を超える同人に他ならぬ。こちらも敬意を表したい。
 誌面の大半を連句作品集を占め、読み応えある内容である。
 77号の内容を簡単に紹介しよう。
 エッセイや評論が巻頭・巻末にある。式田さんの連載のエッセイ「麻布あたり」は面白かった。数年前に猫蓑の会の興行で式田さんと初めてお会いし、まさかここでお目にかけるとは。斉田氏の「多摩の俳諧」は(小生が蟄居しているところから多摩市は近いので)、興味深く読ませて戴いた。次号も楽しみである。
 連句作品は充実している。歌仙7巻、世吉3巻、オン座六句5巻などなど。
 この『れぎおん』を謹呈して下さった浅沼璞さんのことは、このブログでは何度か登場するが、日大で連句実作の授業を受け持っておられる。オン座六句「神と君」は、その成果である。
 この巻は西鶴の発句に浅沼さんの脇を起こしで始まる。
 第一連
 御田植や神と君との道の者  西 鶴
  泥手にはさむ前髪の汗    璞
 突風で洗濯物が飛ばされて  さくら
  ビルの谷間を高く逆巻く    瑛恵果
 三日月のさしこむ光描く筆   和 也
  額に入ったコスモスと母    昴

 水田の風景から、洗濯物が飛ばされた先は、ビル風が吹きぬける都会へ。さらにビルの谷間から漏れてくる三日月の光。 この一連は歌仙でいえば、初折のオモテにあたるのであろうか、穏やかに進みぐあい。
第三連では
  消せぬ君に眠れない       演 範
 黄昏へ紛れこむ人混みで見た恋 希

第四連では
  あかね色せし振袖の帯           さくら
 残したるシャネルのルージュかもしれぬ 恵 理
  いつもと違ふサヨナラだった        和 也
  
と、いったように恋句が詠みあげられる。
 最近の連句作品を見ると、恋句はかなり過激になり、小生にとって刺激が強すぎる感もある。食事でも刺激の強いものを食べると、夜はなかなか眠れなくなるが、恋句もほど良さが必要だ。ここに登場する恋句は、すこしあっさりしているが(草食系が増えたせい?)、余韻を楽しむには、このくらいがいい。学生の言語感覚が危ぶまれているが、ここにある句の世界に思わず引き付けられる。宗匠の捌きは見逃せぬ。
 『れぎおん』第78号は7月発行である。どんな恋句が登場すか楽しみである。

れぎおん


 


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 書庫に堆く積み重ねられた、段ボール箱を物色していたら、福永武彦著『廃市』が出てきた。
 20代のころに、早稲田通りと明治通りとが交差するところからほど近い、古書店で購入したものである。不思議と、新刊書はいつどこで購入したか、記憶にないが、古書は数十年たってもよく憶えている。また、その頃どんな傾向の本を読んだかも、おおよそ検討がつく。
 福永武彦といえば『草の花』『風土』『忘却の河』といった長篇小説に名作が多い。中編小説では、夜の三部作の「夜の時間」などがある。それらは、文学青年だけでなく、多くの読書子の定番の書であった。ゆえに青春時代に読んだ本として、心のなかで、今も大切にしている方も多かろう。
 小生もそれらを読み、数十年たって読み返してみても、場面ごとの細部にわたる情景描写や会話まで、清々しく思い出される。やはり、青春時代に読んだ本はいいなぁ、その頃もっと多くの本を読むべきだったなぁ、と半分後悔している。
 この『廃市』には「廃市」「沼」「飛ぶ男」「樹」「風花」「退屈な少年」といった短編小説が収められている。福永武彦に限ったことではないが、短編小説は、その作者のもつ文学観が凝縮されているので、読み終えると、緊張感とある種の疲労感に襲われる。あたかも、作者がすぐ傍にいて、対話しているような錯覚を覚えるからであろう。ことに福永の作にはそれが強い。
 福永の履歴は、まさしく闘病歴ともいえるくらい、永いあいだ病床で過ごされた。病床で何を思い、何を考えたのか。福永は、絵画や音楽をこよなく愛し、小説のなかには、その二つが巧みに織り込まれ、人生の深淵まで降りたって、自己を凝視している。福永は、芸術のように生きるのではなく、人生そのものが芸術でありたい、といったようなことが描かれていた(気がする)。まさにそうありたい。
 『廃市』に収められた短編小説を読み終えると、人生の第4コーナーに差し掛かった小生は、どことなく気恥ずかしく感じられる。あの頃のほろ苦い思い出が蘇ってくる。そして半生を振り返ってみれば……。いま改めて、それらの作品の慷慨を、ここに記すことは、なんだか手垢がついてしまいそうで、躊躇してしまう。なぜならば、青春時代に読んだ本であり、感動した作家だったからかもしれない。
 最近、何事も感動することが薄れてしまい(若年痴呆症? いや痴呆症予備軍かな? いいえ立派な痴呆症で~す、とワイフに言われそうだ。弱いものいじめはしないでくれ!)、近刊の書で感動した本は、少なくなった気がする。ならば、若い時に読んだ本でも、読み返そうか、ふっと思った。
    若手研究者の窮状に反響

 今日の「東京新聞」に、「若手研究者の窮状に反響」というの見出しがあり、次のような書き出しから始まっている。
 生活面で二度にわたり、低待遇の非常勤講師や定職に就けない若手研究者を紹介したところ、同じように苦しむ読者から反響が寄せられた。
 先月、小生のブログでも「東京新聞」の記事を紹介したところ、大変多くの方が関心を寄せてくれた。国際競争力を高めるため、大学院重点化が行われた。それによって、大学院在学者数は、数年で3倍近くまで増加したことは前回書いた。しかしながら、大学院修了者の受け皿が用意されていなかった。その為、非常勤講師すらなく、幸い職に就けても、雇い止めにあったりしている。雇い止めの理由は以下の通り。
1 科目がなくなった。139人
2 他の人が担当することになった。137人
3 科目は残ったがコマ数が減った。123人
4 最初から期限が決まっていた。76人
5 いやがらせとして。53人
6 学校や学部がなくなった50人
7 不明・説明なし。81人
 *「関西圏大学非常勤講師組合」など6組合の調査結果。
 この結果を見渡してみると、多岐に亘っているが、科目の減少による雇止めが大半を占める。100人乗りの船に150人の講師が乗っている訳だから、一人当たりのコマ数が減少してしまう。
 時代のニーズに合わせ、授業が多様化し、従来の概念では収まりきれない新たな学問が増えてきている。数日前、これも「東京新聞」で、某W大において「恋愛学」を扱う授業が人気を博している、と大きく取り上げられていた。受講者は、定員の数倍らしい。あぁ、大学の授業も変わってしまった。
 「文学部」とか「日本文学科」という名称が、次々と消えていく。いまの時代では「文学部」を志願する学生は、稀なのであろう。このような変化によって、文学を専門とする講師の需用が減ってきている。 
 また少子化に伴い、定員割れする大学が、今後増えていく。そこで大学側は、就職率を高め、学生を呼び込もうとしている(もはや大学は社会の予備校になってしまった)。大学の授業の半分近くを、非常勤講師が支えていることを知りながらも、国も大学側もなんの対策を講じてこなかった。その結果、今の非常勤講師の低待遇に繋がっている。 
 こうした現実を踏まえ、低待遇の研究者をどのように支えていくべきか、具体的にどのような支援が有効か、早急に考える必要がある。
 幸い研究書を取り扱う書肆には、良心的なところが多い。いま、研究者の置かれている境遇を直視していただき、本づくりだけでなく、大学と共同で考えていただければ、と思う。メタボじゃなくて、太っ腹な笠間さん如何でしょうか。例えば、団塊の世代が退職し、彼らを対処とした講座を企画し、積極的に若手の研究者を活用することも、いいのではなかろうか。やはり有志らがNPOを立ち上げて、既存の企業と一体となって、支援体制を構築すべきかも。
 薫風が吹き抜ける季節。
 ゴールデンウイークは、どこにも出掛けない。我が家の年中行事である、たけのこ掘りをするからだ。 小生が蟄居している草庵から、2~3分のところにある竹林で。
 今年もたけのこ掘りで始まり、たけのこ掘りで終わった、大型連休(といっても小生は毎日連休だが)であった。1時間も経たないうちに、レジ袋3つぐらいになる。さっそく、お裾分けをする。今日は今年最後のたけのこ掘り。来週から愚息が戯れていフラッグフットボールの大会があるから。
 柿生の筍は、とてもやわらかく苦味もなく、採れたての筍を刺身で食するのも美味。が、やはり筍ご飯が最高である。裏山の草原には、蕨が自生している。こちらも今しか食べられない旬のもの。山葵醤油で、蕎麦を啜りながら、味わうのも乙なもの。
 そして山菜を肴に冷酒を呑むのは、この上ない幸せである。
 この頃の小生の食卓には、小鉢に筍料理がのる。
 元編集者で作家の、嵐山光三郎さんは、末期の食事に、レンコンの天婦羅を選んでおられているが、小生の最期のはやはりこれだなぁ。恒例の寝静まってからの晩酌は、つい盃を重ねてしまう。
やめられない。
 来週から、愚息(ゆうが)のフラッグフットボールの神奈川大会が始まる。夏の日本選手権に向けて、FFFCのつわものが、フィールドいっぱいに駆け抜けることを楽しみにしている。FFFCの神奈川大会の対戦相手は、法政岸根慶應の予定である。そして関東大会・東日本大会・日本選手権へと続く。
 社会人のアメフトでは、パールボウルが始まった。こちらも見逃せない。
 5日は立夏である。冷酒の旨い季節になった。

 筍や嗚呼竹の子やたけのこや

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筍ご飯

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