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 27日の「東京新聞」28面に大きく「文学青年のすゝめ」という記事があった。
 市ヶ谷にある法政大学では、週三回「日本文学研究会」という文芸サークルの部員が集まる。そこで、東洋・西洋の古典からライトノベル、ミステリーやコミックまでのあらゆる本を持ち寄って、感想を語りあうそうである。部員の中には、ひと月に30冊も本を読むらしい。本好きな大学生が創設した文学賞「大学読書人大賞」がある。記事によれば「文芸部員の投票と推薦文をもとに五作品程度のノミネート作を選び、その中から「大学生に最も読んでほしい本」を大賞に決定する」とある。対象となる作品は、過去1年間の刊行された本。よって復刊や新訳、ジャンルは問わない。今年で5回を迎え、立教大、法政大、青山学院大、中央大、一ツ橋大、早稲田大の文芸委員で実行委員会を組織し、全国49の文芸部が参加して大賞を決めるらしい。今年は伊藤計劃氏の「ハーモニー」で、近未来の高度医療福祉社会を描いたSF小説とのこと。
 「活字離れ」という言葉を聞いたのは、小生が書生のころである。30年も前のこと。最近は日本文学科の学生すら本を読まぬそうである。とりわけ、インターネットが当たり前となった現代では、活字離れが加速すると思っていたら(実際はそうであるが)、このような時代錯誤的な文芸サークルが、地道に活躍しているのを知って、大変喜ばしい。朝からちびっと酒を呑みたくなる気分。
 小生もすこし前から、以前読んだ本をもう一度読み返している。そこで発見した事がある。青春時代に感動した本を読み返すと、さほど感動しないのである。反対に、若い時に読んだ古典文学何ぞは、当時面白さが解らなかったが、最近読み返すと、こんなににも面白いのか、と思うくらいである。この二つの現象は如何に。前者は、感受性が鈍ってしまったからであろうし、後者は馬齢を重ね、少しはオトナになったから、といった単純な答えで落ち着いた。
 ここ一週間で読んだ古典文学は「日本永代蔵」「世間胸算用」「雨月物語」「鶉衣」などの江戸文学である。古典文学は中学・高校では「古文」の授業で読まされたが、ちっとも面白くなかった。大学に入って読んで何となく解り始め、この年になってから、ようやく作品を味わうまで辿りついた。他の人よりかなり遅いが。江戸時代は貨幣経済が到来し、人の価値観を大きく変えた時代であり、西鶴の経済小説を読むと、現代人とさほど代わりがないことに気づかされる。金、かね、カネは人の心まで変えてしまう。だが、読書はお金では享受できぬ楽しみがある。
 さきの文芸サークルの「文学青年」らは、一生本を友として心豊かな人間になってゆくだろう。このような文学青年が増えて欲しいものだ。また「おくのほそ道」を始め古典文学が 「大学読書人大賞」になってくれればもっと嬉しい。

 
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 句集『花行』は2000年9月10日ふらんす堂から刊行された、フランス装の文庫版の句集である。清楚な装丁で、紙の選び方といい、編集者のセンスが光る造本である。
 跋文によれば、20世紀最後の花を見届けようと、著者が上野、千鳥が渕を皮切りに、京都、初瀬、大宇陀、吉野、弘前、角館をめぐり、旅のなかで詠まれた花の句、さらに50年に亘って詠まれた花の句を収録したのが句集『花行』である。本書の題名は吉野山の西行庵跡を訪ねた折「吉野山梢の花を見し日より心は身にもそはずなりにき」「佛には櫻の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば」の歌を思い出し、旅の空で花と対話をし高橋さんは「上人にとつて花を見ることも行だつた」と悟ったことに由来する。
 高橋睦郎さんは日本を代表する詩人であるが、短歌や俳句を詠み、定型詩の可能性を模索し、さらに新作能を手掛ける。それらは精緻で、卓越した審美眼をもって語られている。小生が書生であったときに、原稿を受け取りに、そのころ住まっておられた経堂にあるご自宅(洋館)を訊ねたことがあった。また、或る時は有楽町や伊勢丹美術館の「ダリ展」の会場でお会いしたことを思い出す。大きな升目の原稿用紙に、几帳面な文字が書かれていた。高橋さんは、最初は近づきがたいような、どこかしら、神秘的な雰囲気を持っていたような気がした。話をしているうちにやさしい眼差を向けてくださったことが印象にある。

  夕顔の白きより暮れ暮れ残る
  小町の花西行の花飛んで迅し
  身に添はぬ心や空に咲きつげる
  
 夕顔の大輪の花の白、夕暮れ時に見せる表情。薄暮になりつつあるなか、白い花弁はいっそう白が映える。そこに咲く花は、目の前に咲くばかりか、いにしえ人の面影にそっと寄り添って咲く。花は空無そのものである。





花行
     チャリティ講座
 
 法政大学からエクステンション・カレッジ「チャリティ講座」のチラシが届いた。
 昨年、東日本大震災害があり二回目の「チャリティ講座」である
寄付の蘭に「受講料の20%(講座によって50%)を下限とし、運営にかかる実費を差し引いて、残りを全額寄付します。」とある。

講座一覧
1 新・能楽講座Ⅸ―<海士>徹底分析
2 「健康」哲学する―リスク社会をより善く生きるために
3 被災地を歩く。言葉を探す―中沢けい×佐伯一麦対談
4 法政学事始メ
5 大震災後の<新しい社会イメージ>の構想
6 大人のための古典文学―生きるということ、生きていくということ
  
 この講座は法政大学市ヶ谷キャンパスにおいて、6月から12月にかけて行われる。興味深い講座がいくつかあり、とりわけ小生が興味をもっているのは「大人のための古典文学」全7回のすべての講座と「法政学事始メ」の二日目の、勝又浩氏による「法政大学と文学者たち
と田中優子氏による「法政大学と私の江戸学」である。
 先日、小生はブログで、団塊の世代は燈火のもとで、読書に親しんだと書いたが、高等学校の国語の授業で古典文学を読まされた記憶があろう。それは受験勉強に過ぎなく、古典文学を味わうまで至っていない方か多いと思われる。法大の「能楽講座」や「大人の古典文学」の講座は、毎年テーマを決めて、シニア世代が学ぶ上で宜しい。多くの方がキャンパスに出掛けて、日本の古典文学に親しんで戴きたい。
 貧乏大いに暇ありの小生も是非とも出掛けるつもりである。

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ボアソナードタワー全景
 
         新人作家 かなり 晩成 

 今日の「東京新聞」1面を大きく「新人作家かなり晩成」と題して、新人作家を取り上げている。朝刊に(しかも1面で)文学関係の記事を目にすると、興奮して、低血圧の方もぐっと血圧が上がる人もおられるだろう。読んでいて頗る心地良い(酔い)。
 記事には4名の新人の作家を紹介されている。
 黒田夏子さん(75歳)。「abさんご」で早稲田文学新人賞受賞。
 藤崎和男さん(74歳)。「グッバイ、こおろぎ君。」で群像新人賞受賞。
 桐衣朝子さん(61歳)。「ガラシャ夫人のお手玉」で小学館文庫小説賞受賞。
 文学賞受賞歴を経ない多紀ヒカルさん(73歳)。話題作「神様のラーメン」の著者。
 一線を退いてから小説を書く。定年後の男は「ぬれおちば」などと揶揄されているが、中高年の登山が根強い人気があるように、これから中高年の作家が増えるだろう。団塊の世代の方は、若かりし日に、燈火のもとで数多の本と親しみ、口角泡を飛ばして文学論争をした記憶をもつ人が、多かろう。
 記事には「文芸評論家勝又浩さんは「各地の同人誌を読むと、小説を書き始める中高年層が増えていることが分かる。どんな世界でも裾野が広がれば新たな才能が現われる」と期待する」とあるが、まさにその通りである。小生も同感で、このブログにも、古典文学研究者の裾野(ある意味の大衆化)を広げることが必要であり、それをなし得るためには、学校教育での古典文学の重要性を訴えている。
 このように小説を書く人が増えていることは、たいへん喜ばしいことである。だが、このような方が多くおられる反面、残念なことに、彼ら彼女らを受け入れる土壌に問題があると思われる。同人誌が減ってきていることも然り、著者の執筆態度然り、それを編集する側にいささか問題があるのではなかろうか。同人も昔と違って、ワープロで原稿を作成する方が大半である。よって、電子原稿であるがゆえに、印刷所での入力ミスはない筈。しかし著者校では、ゲラの余白に書ききれないほどの赤字が入っているのを見て、唖然とするばかりである。赤字の内容は単純な同音異句の変換違いといった入力ミスや全く場面を変えてしまうものまで。それが二校、三校と続くのだ。推敲せずに同人誌に自分の作品を出す、またそのような作品を編集部で読まずに掲載許可をし、挙句の果てに原稿チェックもしない、この現実を目の当たりにしたことがあった。とうぜん刷りあがった同人誌を読むと、1ページに数か所もの誤植があり、せっかくの作品も台無し。まことに残念極まりない。同人誌と言えども、それを統括する編集者の質を高める必要がある。同人誌に限らず、作品に対して、きちんと自分の意見を言える編集者が減ってきていることは事実。編集者に感性が感じられない。
 誤植は(小生の実感でもあるが)白髪同様に抜いても抜いても出て来る。また「優れた本は誤植の無い本ではない」と強がる編集者もおられる。最近、刊行されている本を読むと、かなり誤植や文法の誤りが目につく。出版社は質より量の本づくりをしているからだ。
 一昨年、調べ物をしていたら、文科省御用達の出版社と言われる或る出版社から発行された学術書に出典者の名前が違っていたことがあったが。たしかに誤植の無い本は、世の中にどのくらいあるか。しかし、しかし……である。
 ある俳句結社誌では、旧仮名遣・文語体で俳句を作っておられる。同人の間違った文法の誤りを編集部で訂正を入れてきている。その結社誌の校正をしておられる方は、すでに80歳を越えておられる。尊敬する校正者の一人である。
 とまれ、今日の「東京新聞」の記事はまさに爽快であった。晩酌が今から楽しみである。

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