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 貧乏大いに暇ありの小生は、「東京新聞」に歌人の福島泰樹が連載しているエッセイ「追憶の風景」を楽しみに拝読している。
 2月9日は「師弟の悲しみ」と題して、松田修と中込重明の師弟関係を綴った文章を読み、深い感銘を受けた。
 福島と松田修とは、幾星霜ものあいだ交友関係を築いてきた。松田修は近世文学者として知られ、多くの著書を残して来た。80年、松田は法政大学の教授に就任し、三年後、彼がパーキンソ病を発病していたことを、福島は知っていた。
そうした闘病生活を余儀なくされながらも、二人の交友は続いていた。平成3年、『絶叫、福島泰樹総集編』の出版記念会には、愛弟子の中込が押す車椅子で、松田は会場に現れた。
 中込は、師の学恩を浴し、研鑽を積み、近世文学研究者として、落語や講談などに優れた業績を残した。中込は、母校の法政大学で講師と警備員をしながら、師の手となり足となった。『松田修著作集』(全八巻)の刊行が始まると、中込は寝る間を惜しんで、編纂作業に邁進し、翌年最終巻解題を書き終えると、脳腫瘍の為入院となった。翌年2月6日松田が死去(76歳)、その二ヶ月後中込が師の後を追った。39歳。そのときの「童顔が忘れられない」と福島は回想する
文末には、妻のことが触れられている。脳腫瘍に倒れた再起不能と知りつつも、中込を支えたのはゼミ仲間の中村惠美子だった。
夫の遺志を受け継ぎ、師が遺した膨大な書籍や原稿、日記、メモの整理に追われる日々を過ごしている。
とある。松田修の学恩は、今も愛弟子の中込夫人によって、かくして受け継がれている。 
 こうした師弟関係は美談という枠組みに収まりきれぬ。人生そのもの。松田と中込の師弟関係の絆の深さは、稀有かもしれない。だが、いつまで経っても恩師は恩師、教え子は教え子。出藍の誉れならいい。でも何とかな子ほど可愛いともいうのも悪くない。隕石で鬼籍に入る前に、小生はなんとかせねばならなぬなぁ、と反省。せめて今宵は中込の爪の垢を煎じて、お酒の肴としよう。
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 小生が蟄居している、小田急線柿生駅前には、新刊書店「ブックスひろみ」がある。年中無休で、しかも深夜12時まで営業している。夫婦二人で店を守っておられる。
 以前、柿生には、北欧文学者の山室静氏が修廣寺からほど近いところに居を構えたらしい。小生の隠棲しているところからほど近い山里にあったと聞く。現在は歌人の馬場あき子さんが同じ町内に住まっておられる。少し離れたところ(鶴川)に白洲正子・次郎が長年住んだ「武相荘」もある。
 小生は10年以上前に「武相荘」へ行き、このあたりの風景がすっかり好きになり、ひょいと思い立って柿生に越して来た。
 その頃は古書店が2店と「ブックスひろみ」があった。それが古書店はいつの間にか閉店してしまった。3月15日をもって「ブックスひろみ」の閉店の張り紙を目にした時、眩暈に襲われた。店内はさほど広くないので、小生が読みたい本は(かなりマニアックな本なので)当然置いてないので、いつもその店で注文した。その場で取次店へ問い合わせしてくれ、入荷をすると留守電にその旨を吹き込んでくれる。こんなに重宝な書店は小生にとって頗るありがたい。
 店名の「ひろみ」は岩崎宏美・太田裕美のごとく、オーナーの名前だと思っていたら、どうやら違うらしい。愚息によると「ひろみ」は広く見るという意味らしい。つまり本を読んで、広い世界を見るということになる。なんて良いネーミングだろう。
 「ブックスひろみ」が閉店すると、柿生には書店が無くなってしまうことになる。おらが町に書店が無いところが、地方に眼を向ければ珍しくない。現世では、本は大型書店であるいはネットで購入するか、の二者択一になりつつある。

 柿生周辺には、桐光学園、桐蔭学園や和光大学、田園調布大学などがある。もちろん柿生小学校もある。彼、彼女らが本離れにならないことを願うばかり。

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