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  瀧本流高弟としての豊蔵坊信海
      ―松花堂昭乗・豊蔵坊信海筆『百官名』―


 先日、山口恭子先生から「瀧本流高弟としての豊蔵坊信海―松花堂昭乗・豊蔵坊信海筆『百官名』―」(都留文科大学国文学論考第49号所収・2013年3月15日発行)の抜刷りが送られてきた。この場を借りて深謝申し上げる。
 山口さんは法政大学で教鞭を執っておられ、近世文学や江戸出版学、さらに書誌学を教えている。このような巨視的立場から、江戸時代に刊行された夥しい出版物について調査研究をしている。とりわけ書道史は、彼女のライフワークでもある。
 松花堂昭乗は、能書家として後世に名を馳せ、近衛信尹・本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称される。それは瀧本流或いは松花堂流といわれ、その書風は門弟らによって受け継がれてきた。
 高弟と言われる一人に信海がいる。今までは、狂歌史を切り口から信海を論じられていたが、書道史からのそれは皆無に等しかった。山口さんは、信海筆『百官名』(法政大学蔵)を精査し、信海における書道史を明らかにしようと試みた意欲的な論考である。さほど有名ではない『百官名』は周到でしかも詳細に文献的な位置づけを行っておられる。法大本『百官名』は、昭乗と信海の両筆によって書かれている。奥書には昭乗の書いた「官名」の後に信海が「僧官」以下を書き継いだもの。山口さんは師弟の書風を比較検討し、墨の潤渇ならびに運筆の遅速の相違を述べておられる。
 書道には全くの無知であるが、昭乗の大師流について尋ねてみた。昭乗は漢詩文や詩のタイトルだけ大師流で書かれていることがあるそうだ。真言宗の僧でもある昭乗は空海を心から敬慕する人で、山口さんは眼光紙背に徹し、彼の大師流で書かれた書をみると、彼の空海への尊敬の気持が汲み取れるそうである。山口さんは小生の愚問に丁寧にお答えて下さった。 さらに深謝、深謝である。
 浮世では殆ど知られることのない『百官名』を取り上げたように、地道な研究の積み重ねにより、書道史に風穴をあけ、研究に新たな道が拓けるだろう。若き研究者の活躍に、小生は今宵も盃を重ねるばかりである。
 最後に本論考に書かれた言葉を引用しよう。
 
 今後も残された書作品や資料に即した検討を積み重ねてゆく必要がある。信海の書について多方面からとりあげ検証してゆくことは、瀧本流の展開の諸相をより明らかにすることにつながるはずである。




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 小生は四半世紀に亘り学術書を編集してきた。現在は、主夫兼編集者という肩書き(いっけん肩身の狭い立場(まぁ,いいか)。いまも古典文学関係の本づくりに勤しんでいる。
 いつ鬼籍に入るか分らぬ年齢に差し掛かった。鬼籍入る前に造ってみたいと思う本は多い。人生は有限、欲は無限と言うではないか。その中の一冊として、スポーツを学術的な切り口から捉えてみたい、というのが小生の希望。
 そんな思いで、実際に見聞きしたことを―。 
 
 高校ラグビー部の監督M氏は、無名校を一躍ラグビーの名門校へ押し上げた。全国ラグビー大会では連覇を樹立した。M監督は定年となり、母校の都内の大学の監督に就任した。学内の誌の載せられた記事を読んだ。
 高校の監督当初は、勝つために押し付けの指導方法であったと顧みる。勝つためにと思いつつ、皮肉にもなかなか勝てない。ニュージーランドへ遠征した折に、自分の指導法の間違いに気付いたそうだ。今までは見栄えだけの「盆栽」的指導であったと。ニュージーランドでは、選手の自主性と個性を伸ばす指導法である。それを取り入れたことにより、その高校は全国レベルに達し、たちまち全国制覇をした。
 先日、某大学のアメフト部のG監督のお誘いで、将来のアスリートのための栄養学の講演を聴くことができた。年少期には、筋肉の質や神経系の能力が形成されるため、どのような食事が必要か、と言ったテーマである。小生には、小学4年の愚息がいるので、とても有益な話を聞くことが出来た、と感謝している。
 その後、G監督と個人的な意見交換をし、愚息の運動能力について見ていただいた。グランドでの、コーチ曰く「脚が速い」という言葉に驚いた。というのは、愚息は昨年、重度の捻挫をして、しばらく松葉杖での歩行。それでもフラッグフットボールの関東大会にはドクターストップがかかっていたにもかかわらず、本人のつよい希望で出場した。多少の後遺症を割り引いても、愚息はさほど脚は速いとは思えなかった。また所属するチームはパスはと取れない、脚は早くない、の無いない尽くめで、練習試合すらフィールドに立てない。つまりチーム内では、見方を変えれば、劣等生としては優等生なのだ。
 だがしかし、お世話になった某大学アメフト部のコーチの詳細を聞くところ、ハンドオフ(QBからの手渡しパス)の瞬間では、すでにトップスピードに近く、減速せずに加速していく、とのこと。ぜひアメフトに挑戦を、という言葉に、愚息も自信を得たようだ。捨てる神もあれば拾う神もある、とはこのことか。
 とまれ、愚息の時期は、「いろいろな運動(正しい動き)や栄養摂取について、能力を引き出すトレーニングや食事を行うことが重要」と、G監督は熱く語る。嗚呼、正鵠を射たお言葉。
 この大学のアメフト部では、スポーツを栄養面からサポートし、さらに理に適ったトレーニングを行っている。そのような緻密な指導を、不断に積み重ねられた結果(現在大学のアメフトのオープン戦がたけなわで)、このチームは全勝している。この大学は、もちろん勝つためであるが、それより選手の将来を見込んでのトレーニングに力点を置かれている。よって目先の一勝でなく、選手の伸び代を鑑みての日々研鑽を積んでいるのだ。
 この二つの事例を見ても分るように、個性重視の指導法と栄養面・適切な運動トレーニングは、目先の試合にはむろん直接的に奏効するものではない。だが数年後の選手の伸び代においてはきっと差が出てくるだろう。
 日本のスポーツは、まだまだ発展途上にある。まさにその指導法は「盆栽教育」そのものだ。戦術重視ばかりの指導法で、個々の選手の特徴を最大限引き出し、将来のアスリート育成するのでもない。目の前の試合に勝つための鋳型に、無理やり嵌めているに過ぎない。そこからはみ出たものは排除する風潮がある。野球やサッカーの一流選手は、旧態依然の日本を脱出し、海外へ流出してしまうのは当然である。このような傾向に歯止めがかからない。先進国のスポーツ教育を受容し、年少期からのクラブチームの役割として不可欠な側面である。従って、少年らを指導する側も、戦術のみでなく、それらを学ぶ必要があろう。スポーツをグローバルな見地から見つめ直すことが求められる。ということで、どなたか、スポーツを学術的な見地から書いてくれる人はおりますか。小生にご一報を。

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