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 浅沼さんから、夏に『江古田句会会報』創刊号戴き、次号を心待ちにしていた。ようやく、秋風の吹く昼下がりに「江古句」改メ『俳諧無心』会報弐号が届いた。浅沼さん、ゼミ生の方々に、この場を借りて心から感謝申し上げたい。本日(このブログを書いている)、「楽天が日本一」になったことで、ひとり祝酒に酔って、この文章を認めている。小生はプロ野球には興味がないが、祝い事ならなんでもござれ、主義。つまり小生は楽天家なのだ。「楽天が日本一」を口実に今宵も盃を重ねた。暇と美酒に任せて、前回同様に、勝手に句評をしたいと思う。今回は深読みふうに小生の句に対する読後感を。悪しからず。
 巻頭句は、浅沼さんの「秋なのに夏」と題して、7句が載せられている。
  掌をかへすがへすも夏の蝶
  扇風機空の記憶の首振りをり
  また落ちる花火のふりをして落ちる
 巻頭句に相応しく佳句が並ぶ。が、その中で秀逸と思われる句を3句載せた。まず1句目は「夏の蝶」があたかも掌を返すように舞う姿を詠んだ。蝶の舞う姿を、掌に見立てたところが妙。ただし、「掌(たなごころ)」でなく「てのひら」と読ませたところに、美酒に酔いしれた、小生の想像力がかき立てられる。「掌をかへす」を「掌を反す」と慣用句ふうに深読みすれば、意味深長。「夏の蝶」が、「ひと夏の恋」に墜ちた、愚かな漢(おとこ)に想像できはしないか。「蝶ゝ、蝶ゝ菜の葉にとまれ」の歌詞は、近世の俗謡歌を改作したもの。意外に知られていないかも知れない。「菜の葉に飽いたら 桜にとまれ」からすれば、「蝶」はまさしく色好みの「漢」となるであろう。「夏の蝶」を色恋に溺れる漢を連想するのは小生だけ。
 そして「花火のふりして」その漢は、恋に「墜ち」た、とでもとれる。「ふりして」というところが、恋のテクニックが感じられる。作者はそうとう恋に精通していることだろう。うん~。小生が読むと、どうも色恋になってしまう。
 俳文学者の故乾裕幸先生は、「句は作って投げ出されれば、あとは読者の鑑賞に任される」といい、さらに「作者の創作意図を寸分違わずに読むのを正解とする読みの姿勢が誤りであり、作品をして最高のものたらしめる読み方がよい読み方である」と。これは俳句鑑賞における小生の座右の銘である。よき作品には多義性があり、表の読み方、裏の読み方の両方があってもよかろう。つまり、鑑賞者の自由ということになる。
 では、「軽井沢句会Ⅰ」から鑑賞する。
  鼻歌の途切れ途切れに夏薊  絵莉子
 川本桃子さんの評によれば、「鼻歌」は映画「風たちぬ」の主題歌、松任谷由美の「ひこうき雲」とのこと。彼女・彼らは、この歌を「サビしか知らない昔の歌」とある。とうぜん「荒井由美」という名は知らないだろう。
 ユーミンの歌を青春時代聞いた小生は「昔の人」になるのだろう。まぁ、いいさ。もうすぐ小生は故人になるのだから(年寄りの冷水とはこのことか)。それはともかく。「途切れ」はぎざぎざした「薊」の葉っぱを連想させる。取り合わせが宜しい。上五の「鼻歌の」を「ひこうき雲」としたら、もっと句のイメージがはっきりしてくるだろう。「鼻歌」だと、どことなく演歌を連想しなくはないだろう。
  雨の日の浅間きすげは北を見ゆ  綾
 「浅間きすげ」とは「ニッコウギスゲ」同様、軽井沢に咲くキスゲの特産種か。この句の面白さは、雨が降ると、浅間きすげが北を見るところにある。その先には雨雲に霞んだ浅間の雄姿が望まれる。避暑地の点景が目に見えるようだ。小生好みの句である。勝手に添削すれば「雨の日の」は説明的な気がする。ならば、もっと動きを加えて、「雨降れば浅間きすげは北を向く」とする。もちろん原句のほうが宜しいことは言うまでもない。
次に「軽井沢句会Ⅱ」の最高点は
  木漏れ日の中ある番地ない気配  智南美
である。加藤澪さんのこの句の評に「「ある」「ない」と反対の言葉をリズミカルに繫げた事により童話のような幻想的世界を」と述べておられる。大勢の人で賑わう軽井沢であるが、別荘地帯を一歩踏み入れると、確かに番地すらない別荘が点在し、「幻想的」あるいは「童話」に出てくるような錯覚を覚える。この句は避暑地の雰囲気をよく掴んでいるし、澪さんの評は、それらをよく汲み取っている。では、加藤澪さんの句を見てみよう。小生はこの句が好きだ。といっても彼女をヨイショしているわけではないが。 ちなみに小生は美貌・財力・贈り物にはめっぽう弱い。
  萩散ってなほこの路を飾りけり 澪
 この句に点数を入れた人は誰もいない。だが、詠もうとした光景は秋らしさを感じさせる。小生なら「萩散って」を、萩の小さな花びらに対して、「萩こぼれ」とするだろう。これはその人の好み。ただ「路を飾りけり」を一工夫して欲しいし、どことなく散文的であるのが悔やまれる。軽井沢吟行の写真を拝見し、黒一点の正考くん。
  桔梗や生涯わすれぬ笑まふ皆  正考
 この句も、点を入れた人はおらぬ。吟行仲間の満面の笑みが卒業後も忘れない思い出。その傍らに咲く桔梗の花の取り合わせは印象的だ。とても素直な句であるが、下五が平凡か。また「桔梗」と「わすれ」が切れてしまう気がする。そこが残念。
 「編集後記」に次の号には、先輩の句を「ゼミ生による投句の講評も予定して」いるそうだ。講評するには遠慮はいらぬ。乾先生の言葉を参考にして欲しい。次号を心待ちにしている。
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