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 浅沼さんから『俳諧無心』会報第七号を送ってきて戴いた。この場を借りて、浅沼さん、浅沼ゼミ生諸君に御礼申し上げるしだいである(えらっそな書き出しで、悪しからず)。
 1ページは「第二五回伊藤園新俳句大賞入賞・入選作寸評」と題して、ゼミ生が入賞・入選した作品に対する浅沼さんの評が載せられている。
 佳作特別賞から
 短夜を回す浮世の観覧車 澪
浅沼評「短夜はもとより秋の夜長とて操り「回す」に如くはなし。鶴翁よろしく句柄大きなる作とや言はん。」
 松明けや玉子豆富へ匙入れる 亜樹
浅沼評「松の内の「晴」を玉子豆腐の「褻」へ転じたる俳諧なり。」とし「微に入り細を穿つ佳句」とする。
 佳作から
 喜んで暴れる河豚の刺身かな 智南美
浅沼評「料らるゝ夢応の河豚、はたまた当世の居酒屋が若衆の「喜んで」なる合の手やも知れず、皆して暴れをる態なりや。をかし」
 磁石だけ増えて生家の冷蔵庫 理
浅沼評「省略の効きたる佳句なり。其のかみ冷蔵庫が扉に掲げし手書きの献立表、期限切れのクーポン……疾うに捨てられ、残るは磁石のみ。久方ぶりに訪ひたる生家、平泉のごとく、兵どもが夢の跡なるらん。」
 花疲れ川の長さを知らぬゆえ 祥子
浅沼評「一見、因果律にとらはれたる句のやうなれど、さにはあらず。川の長さのみならず、疲れをも知らぬ青春の、知らぬがまゝに過ぎけるを、懐かしく言ひとりたる佳句」
 未だ抜けぬ父の訛りや初笑 絵莉子
浅沼評「父の訛りの、娘にとりつき、大学四年になりても抜けぬとあらば、別の意味にして切なき初笑なるべし」  

 これらを拝読し、浅沼さんの句評は、江戸初期に流行った「句合」の評、とりわけ「貝合」の芭蕉評を想起する。その文体はまさに俳文の調子で意味深長。原句よりも句評の方が面白かったりする。
 暉峻先生もおっしゃっていたが「最近の俳句はどうも真面目になり過ぎている」と。愚生も同感である。浅沼さんの句評は、ここまで深い入りして読むと、俳諧の本質である「笑い」が炙り出されてくるような気がする。その笑いとは「哄笑あり」「薄笑いあり」「微笑あり」「皮肉な笑いあり」と、まぁ、笑いが止まりませんな。
 愚息(小5)も佳作に。「土けって卒業生は走り出す」という平凡な句である。「走り出す」を、愚生なら「逃げ出す」にしたかも。親に似なくて良かった、と褒めておきたい。
 また『俳諧無心』第七号には「第六号投句鑑賞」が載せられん、句友の句を自由闊達に綴られている。俳句は作り手ばかりが注目されがちだが、鑑賞する楽しみもある。鑑賞は作者の意図など気にせず、鑑賞者が想像力を総動員して読むか。つまるところ、自由に鑑賞することが許される。言い換えれば、鑑賞者の鑑賞力が問われたりも。本紙に載せられた鑑賞は、独自の視点から読んでおり、好感が持てる。浅沼さんの指導宜しく。十七音がこうたら、季語がどうたら、切字がぐうたら……と、あまり真面目に考えなくても。ただ、俳句の原点は滑稽であることから、もっと楽しく俳句を作り、楽しく(時には嫌味を)鑑賞して欲しい。そうすれば、諸君の数十年後の老後は、きっと明るい。間違っても、愚生のように、徘徊老人にはならないように。
 
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