9月5日の『東京新聞』夕刊に高橋睦郎さんが写真付きで大きく取り上げられている。
「先人と共に言葉を探す」と。
高橋睦郎さんは中学の頃から現代詩を書き始め、俳句・短歌・能・オペラなどを創ってこられた。そんな高橋さんが35年分の作品を纏めた選詩集『続続・高橋睦郎詩集』が上梓された。昨年は歌集『待たな終末』を、来年は句集『十年』を刊行する。喜寿になっても創作活動は全く衰えぬ。
この記事を拝見し、愚生は書生だったころ(30年も前になるが)、高橋睦郎さんの原稿を受け取りにいった、記憶が甦ってきた。大きめのマス目の原稿用紙に几帳面な文字で書かれていた。
当時は小田急線の経堂駅からスズラン通りを行き、豆腐屋の角を曲がったところに洋館があった。そこは高橋睦郎さん邸宅であった。現在は逗子市桜山に住まっておられる。
著者校のゲラを受け取るために、ダリ展が開かれていた伊勢丹美術館で、高橋さんと待ち合わせしたこともあった。校了間際ででは、パレスホテルでゲラを受け取った。そんな出会いから、愚生は高橋さんのファンになった。古書店などで高橋さんの著書を買い集め、繰り返し読んだものである。詩の朗読会にも足を運んだ。高橋さんは詩だけを作っていたと思ったら、俳句も作っていたことに気づいた。さらに驚いたのは能の台本(謡曲)を作られた時だ。言葉を模索し、新たは境地を切り拓いていった。
今考えているのは三つ。一つは、松尾芭蕉や西行、紫式部など、欧米や中国の人たちを含め、影響を受けた先人との対話を詩にすること。もう一つは、福岡県八幡市(現北九州市)で生まれてすぐ亡くなった父親という存在に向き合うこと。そして、「僕という人間」が生きてきたこととは何なのか。「それは小説の形になるのかな」と思っている。
表現者高橋睦郎さんらしいコメントである。今宵は秘蔵の日本酒を片手に高橋さんの詩集を読もう。