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 徒然なるままに『徒然草』を通読。
 中学の頃「徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆく由無し事を、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」と暗誦させられた。『徒然草』に限らず、古典作品の冒頭の文章は一度覚えたら一生忘れられない。
 だがしかし、親しんできたと思っていた作品を通読した人はそう多くないのかもしれない。たとえば『源氏物語』しかり、『平家物語』しかり、『枕草子』しかり、そして『徒然草』も。
 愚生は老境に差し掛かったが、『徒然草』を最後まで読んでいなかった。鬼籍に入る前にと思い、『徒然草』を読んでいる。島内裕子校訂・訳『徒然草』(ちくま学芸文庫)は、「本書が目指すのは「通読できる徒然草」を念頭におかれ、まさに愚生のために書かれた本(勝手に決め付けているが)。語釈は意訳に含め、兼好の世界を分かりやすく描いている。想像力が膨らむ。『徒然草』の入門書としても宜しい。島内氏は存じ上げていないが、『徒然草』の専門家だけでなく、中世文学さらに、広く古典文学に精通しておられるようだ。蓄積された知識を難しく語ることなく、じつに丁寧に説く。
 『徒然草』は人生観や無常観が書かれた随想、と中学や高校の国語の授業で植えつけられた。よって草庵の文学とか隠者の文学といったイメージがつよい。改めて読んでみると、宮廷における有職故実のことや、第104段のように『源氏物語』の一場面を想起させるような章段があり、身近なたわごとなどが綴られていたりして、内容は多岐にわたり面白い。通読によって新たなる発見がある。
 江戸初期では、松永貞徳が庶民のために古典文学公開講座を開いた。貞徳の高弟の一人北村季吟は、俳諧師と古典文学研究の研鑽を積み、数多の注釈書を著した。季吟の句で
  万事は皆彼岸桜と一盛り
という作品がある。これはかつての師匠の貞室(後に不和となる)への追悼句である。この句の内容を理解するには『徒然草』を知らないと話にならぬ。第38段に「万事は皆非なり、言ふに足らず、願うに足らず」を踏まえてつくられているからだ。もちろん『新撰朗詠集』の「万事は皆非なり」を吉田兼好は『徒然草』で引用しているが。
 「皆非なり」を「皆彼岸」と詠み替えて、さらに1拍おいて「彼岸桜」とし、貞室への哀悼句へと転じている。

 彼岸におります貞室先生、そちらの生活はいかがですか。いま現世では彼岸桜が盛りを迎えています。やがて桜は直ぐに散ってしまうことでしょう。先生もあの世へ逝ってしまいましたが、桜の命は、あたかも人生のように儚いものですね、と。
 

 もちろん無常観を織り交ぜた句だが、暗さはなく、華やかな印象を与えてくれる。
 『徒然草』は江戸時代ではよく読まれたが、やはり通読した人は少なかろう。
 春は三寒四温を繰り返しながら訪れる。先日キャンパスの草叢に蕗の薹が顔を出していた。あたかも「もーすぐ春ですね~」といったところ。愚生には春はまだ遠い。もしかしてもう来ないかもしれない。だが『徒然草』を読み終えるところだ。

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