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  柹くへば鐘が鳴るなり法隆寺
 柿のおいしい季節である。
 小生の拙宅は相模之国柿生にある。近くに王禅寺というお寺があり、そこには甘柿の原木があるそうだが、写真でしか見たことがない。その柿の名は禅寺丸柿という。赤ちゃんの握り拳ほどであるが、とっても甘みの濃い柿であるが、ほとんど知られていない。江戸時代では、多く生産されていたそうだが、今ではこの柿生でも希少の幻の柿である。小生が柿生に隠棲した折に、禅寺丸柿を植えて八年経つ。昨年、初めて6、7個ばかり実った。そのうち2個は甘かったが、他は渋柿であった。今年は2個だけ。ともあれ、柿生という地名(?)は、そこから来ているらしいが、明治期頃に付けられた地名だが、地図をみてもそんな町名は見当たらない。「柿生」と冠した固有名詞は若干残っている。「柿生小学校」「柿生駅」「柿生郵便局」など。
 柿と言えば正岡子規のあの句を思い出す人が多かろう。
 今朝、和田克司先生から、『近世文学研究』の編集のねぎらいの言葉が書かれたメールを戴いた。
 和田先生は高名な正岡子規の研究家で『近世文学研究』第3号に「陸羯南の俳句稿と子規」と題して、論文を寄せて下さった。羯南が、初めて子規に会った様子を「浴衣一枚に木綿の兵児帯、いかにも田舎から出だての書生ツコであつたが、何処かに無頓着な様子があつて」と書き記している。二人の交遊は浅くはなく、互いに刺激しあって、俳句へ傾倒していったのであろう。和田先生の論文は、羯南の俳句稿が、およそ百年ぶりに発見されたのを機に、貴重な資料の報告とともに、詳細な検討がなされ、子規の俳句観を知る上で、貴重な刺激的な論考である。俳句稿は、和田先生の調査検討によると、明治26年11月のはじめの頃とされる。そこには12句が載せられているので、いくつか列挙しよう。

 侘人のかさすへらなり冬の菊
 時雨るるや不破の関屋の板庇し
 穂薄にはてはありけり富士の山
 12句のうち6句が「日本」の文苑欄に掲載され、その6句のうち子規の『獺祭書屋俳話』増補改訂版に所収。また12句のうち7句が子規の『なじみ集』に記載されているとのことである。『近世文学研究』第3号所収「陸羯南の俳句稿と子規」は、子規の俳句観並びに子規の取り巻く交遊関係を知る上で有益で、しかも興味深い論考なので、是非一読願いたい。また、本誌創刊号にも「藤野古白と正岡子規」の優れた論考なので、子規ファンは必見である。

 この日記を書きながら思い出した。数年前に(記憶が曖昧だが)、NHKの番組で、和田先生が登場しておられ、子規が「柹くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を作った日は雨が降っていたことが、当時の史料から検証し、よってその句は、旅の途中で得た風景を思い浮かべながら詠んだのであろう、ことを伝えていた。


追伸
和田先生からのメールには、御自身がテレビに出演される番組が記されている。

NHKにて、過日の「坂の上の雲」関連番組の全国版再放映が決まりました。老生関係分を注記しました。
12月2日(金)午後3:13~3:58 『ローカル直送便』(全国放送)、『しこく8』『独楽のはぢける如くなり ~子規の愛弟子  虚子と碧梧桐~』和田克司一部出演

こちらも合わせてご覧戴ければ幸甚である。
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