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 高名な免疫学者で知られる多田富雄は、多大な功績を残した。その一方で、すぐれた著作がある。著書の多くはエッセイであるが、どれも珠玉である。多田は学生時代から、能楽に造詣が深く、鼓は素人の域を遥かに超えている、と言われるほどであった。原爆や脳死を題材に、多くの新作能を手掛けた。多田が能舞台で羽織っておられた裃には、免疫学で使われる記号があしらわれていた。
 昨年、鬼籍に入られた。2007年に刊行された『寡黙なる巨人』を、いつしか読もうと思いながら、そのままにしておいた。桜が咲き始めた或る朝、ふと思い出して読んでみた。
 多田富雄は、2001年5月2日に旅行先の金沢で、脳梗塞で倒れ、重度の後遺症が残り、爾来、闘病生活を送りながら執筆活動を行った。脳梗塞に遭遇したが、幸い命は助かったものの、身体的な自由を奪われた。構音障害で声を失い、さらに右半身麻痺により筆を持つことが不能となり、嚥下障害で飲食が出来なくなった。
 そのような状態にもかかわらず、強靭な精神力で歩行訓練、言語機能回復などのリハビリに励み、さらにワープロを習い、執筆活動を再開した。本書『寡黙なる巨人』は、そのような状況下で書かれて「小林秀雄賞」を受賞した。
 利き手でない左手のみで、ワープロで文字を入力していくわけであるから、健常者の十倍の時間を要して、キーボードを打つ。そこには凝縮された言葉と行間には、多田の思いが詰まっている。『寡黙なる巨人』は単なる闘病記ではない。中身を触れることは不要であろう。身体的自由を奪われたことにより、生きることを意識していく。

  旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

 芭蕉の晩年の句のごとく、脳梗塞で伏し、三日のあいだ生死の境をさ迷いながら、謡曲「羽衣」を謡い、自分が生きていることを悟ったと言う。多田富雄は、その時から寡黙の人となったのである。リハビリを開始した時から、彼の中にはもう一人の自分が生まれた、と自覚する。
 多田は白洲正子と深い交友関係にあった。正子は小さい時から能を習っていたので、多田との会話では「あの曲のあの場面」と言えばすぐに話が通じる仲であった。正子が亡くなり、10本目の新作能「花供養」を書かれた。
 正子の書斎からは庭の藪椿が見えた。こよなく白椿を愛した。正子の面影を彼女が愛した白椿と重ね、正子への思いを、謡曲の詞章に織り込んだ。多田は正子にもう一度会いたいという気持ちが強かった。晩年の正子がふとみせる寂寥感を、後場の老婆に託した。2008年12月26日、白洲正子没後10年追悼公演、一夜限りの「花供養」が行われた。多田は能楽堂にいくことは、死者と会うため、と言っておられたことが印象的である。両親、兄弟、恩師らと会うためである。
 多田も死者になって、今ごろ正子を来世で能の話をしているだろう。
 
 小生の拙宅は、柿生緑地の中にあり、窓から山桜が見える。今年の春は、退屈しのぎに、ひねもす桜を見ていた。桜が咲き開いてから、春の嵐が二度ほど吹き荒れた。だが、桜は散らなかった。桜は風で散るのではなく、重力でもない。季節の移り変わりの中で、自らの重さに耐えきれず、桜は散るときを知るのである。花が散るから、若葉は生えてくるのだ。やがて、秋になり落ち葉が落ちなければ、来春には若葉は生えてこない。それは自然の営みに他ならない。
 『寡黙なる巨人』を読み、多田富雄の人生と窓から見える山桜が散る姿を重ねてみた。小生にとって今年は感慨深い桜となった。
 
  さまざまな事おもひだす桜かな
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