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 書庫に堆く積み重ねられた、段ボール箱を物色していたら、福永武彦著『廃市』が出てきた。
 20代のころに、早稲田通りと明治通りとが交差するところからほど近い、古書店で購入したものである。不思議と、新刊書はいつどこで購入したか、記憶にないが、古書は数十年たってもよく憶えている。また、その頃どんな傾向の本を読んだかも、おおよそ検討がつく。
 福永武彦といえば『草の花』『風土』『忘却の河』といった長篇小説に名作が多い。中編小説では、夜の三部作の「夜の時間」などがある。それらは、文学青年だけでなく、多くの読書子の定番の書であった。ゆえに青春時代に読んだ本として、心のなかで、今も大切にしている方も多かろう。
 小生もそれらを読み、数十年たって読み返してみても、場面ごとの細部にわたる情景描写や会話まで、清々しく思い出される。やはり、青春時代に読んだ本はいいなぁ、その頃もっと多くの本を読むべきだったなぁ、と半分後悔している。
 この『廃市』には「廃市」「沼」「飛ぶ男」「樹」「風花」「退屈な少年」といった短編小説が収められている。福永武彦に限ったことではないが、短編小説は、その作者のもつ文学観が凝縮されているので、読み終えると、緊張感とある種の疲労感に襲われる。あたかも、作者がすぐ傍にいて、対話しているような錯覚を覚えるからであろう。ことに福永の作にはそれが強い。
 福永の履歴は、まさしく闘病歴ともいえるくらい、永いあいだ病床で過ごされた。病床で何を思い、何を考えたのか。福永は、絵画や音楽をこよなく愛し、小説のなかには、その二つが巧みに織り込まれ、人生の深淵まで降りたって、自己を凝視している。福永は、芸術のように生きるのではなく、人生そのものが芸術でありたい、といったようなことが描かれていた(気がする)。まさにそうありたい。
 『廃市』に収められた短編小説を読み終えると、人生の第4コーナーに差し掛かった小生は、どことなく気恥ずかしく感じられる。あの頃のほろ苦い思い出が蘇ってくる。そして半生を振り返ってみれば……。いま改めて、それらの作品の慷慨を、ここに記すことは、なんだか手垢がついてしまいそうで、躊躇してしまう。なぜならば、青春時代に読んだ本であり、感動した作家だったからかもしれない。
 最近、何事も感動することが薄れてしまい(若年痴呆症? いや痴呆症予備軍かな? いいえ立派な痴呆症で~す、とワイフに言われそうだ。弱いものいじめはしないでくれ!)、近刊の書で感動した本は、少なくなった気がする。ならば、若い時に読んだ本でも、読み返そうか、ふっと思った。
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