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  浮世の月見過しにけり末二年 西鶴

 今年の中秋の名月は9月30日であった。中秋の名月の夜に、関東地方は台風上陸という、この上ない組み合わせで、十五夜お月さんを見ることはできなかった。
 ところで、俳句では「月」は秋の季語。和歌で月を詠んだ歌は多い。四季折々の月を詠んだ。月を秋の風物としたのは『金葉集』あたりのような記憶をしている。十五夜の月は、和漢共有とは言わないまでも、ある種の美意識を持っていたのだろう。白居易の詩句で「三五夜中新月の色 二千里外 故人の心」と詠み、須磨に引き籠った光源氏はその句を口ずさんだ。
 十五夜が過ぎると、月の出が遅くなり、翌日は十六夜(いざよい)で月の出るのが躊躇っているのでその名がついた。十七夜は立って待っている間に月が昇るので「立待月」という。十八夜の月は座って待つ「居待月」と。十九日は居ても立っても居られず、「寝待月」とまたは「臥待月」とも。
呑兵衛にとって、月が見えようが、見えまいが関係なく、盃を重ねるのが常である。月に倣って、立ち呑、寝酒何でもござれ。
  浮世の月見過しにけり末二年 西鶴

 小生は、西鶴の辞世句が頗る好きだ。
 西鶴が生きた頃、人生50年という時代で、この句の前書に「人間五十年の究りそれさへ我にはあまりたるにましてや」とある。西鶴は元禄六年五十二歳、大坂で亡くなっている。
 小生も西鶴と同じ年になり、終焉をどう迎えようかと自問自答の日々である。西鶴の句が身にしみる。すき腹に、嗚呼、冷酒がしみる。
秋の夜長。隣は何をする人ぞ。


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