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 「江古句会 会報」落掌致候
 日大芸術学部の浅沼先生のゼミ生らが「江古句会 会報」を創刊した。
 「発足のことば―私たちの居場所」によれば、
  卒業したら、句会は、俳句は、どうなるのだろう。
  三年生も終わりを迎えようとした頃、強い不安に襲われた。週に一度、必ずゼミという名の句会があるが、当然それは卒業したらなくなってしまう。私の俳句たちはどこへ行けばいいのだろうか。浅沼先生から提案された学外での句会は、まさにその不安を払拭するものだった。

とあるように、自己表現の場としての句会「江古句会」が誕生したわけだ。じつに単純明快であるが故に、その熱意の深さは、二川智南美さんの言葉に凝縮され、彼ら彼女らのそれには、宇宙に穴を開けてしまうだけのパワーが秘められている。
 第一回 江古句会から句をみてみよう。
 最高点句の
  春めきて雑巾きつくしぼりけり
に対する句評は「春になり、掃除をしたくなるすがすがしさがある」とか、「雑巾という言葉はきれいではないのにきれいに感ずる一句」と評価は読み手としても洞察力の鋭い鑑賞力を持ち合わせている。小生が評すれば、春の兆しを生活実感があふれる「雑巾」によって引き出しているところに、滑稽がある、とするか。埃が被った本棚や机を雑巾で拭くごとに、絞った水は黒く汚れ、拭いたそこはきれになってゆく。必ずしもきれい」にこだわる必要はなかろう。俳句はこうした実感を詠むことが大切だろう。そこを鑑賞者が目を付けたところに敬服する。点数をいれた人に最高点をあげたい。
  春一番受信箱から名前消す
 この句の点数は高くはない。だが「ざあっと吹いた瞬間に愛しい人が削除される切なさと同時に刹那をも感じる句だ」とある。なるほど、このような男女の別れもあるのか。妙に納得してしまう。
 小生の家庭では、愚妻に見られたくない異性からのメールを、証拠隠滅のごとく受信箱から消し去る。この快感は君たちには解からないだろうね。ともあれ、平然と行うのが家庭平和というもの。何事もバレナイことが幸せを持続する秘訣である。将来、君たちの座右の銘になるだろう。
 この句を、勝手に添削すれば「受信箱名前消し去る春一番」とするか。俳句誌には添削コーナーがあり、同人の原句を主宰が、着せ替え人形を弄るように添削し、さもこれでよろしかろう、と言わんばかりである。とかく添削されたそれよりも原句の方が良かったりする。小生の添削も原句の方が宜しいことは言うまでもない。
 ここまで俳句評を取り上げてみたのは次の理由から。
 俳句鑑賞は作者の思いを寸分違わず評することではない。俳句とは、その句から受けた印象を、鑑賞者が想像力駆使してイメージする、言わば鑑賞者の文学に他ならない、と思う。江古句会で語られたそれらの評には、鑑賞者の優れた洞察力が感じられる。言い換えれば、俳句鑑賞が優れているからこそ、優れた作品を作れるのだ。長く作っていれば時には芭蕉より上手が句もできるだろう(ちっと誉めすぎか)。
余談だが、小生は時々嫌味を言うが、他人の作品を汚すことはしない。ただ誉めるだけ。小生に誉められても喜ぶのは、間違いです。
気になった句では
  星の死や鷹は今にも目を凝らす
である。寺山修二さながらの句である。もう彼が他界して今年で30年が経つ。演劇・映画や短歌・俳句で衝撃的な作品を残した。作者はとうぜん寺山をこうした作品でしか知りえない。彼の影響(?)受けた俳句を作られたと思われる。「星の死」と「」と。取り合わせの妙が感じられる。
 第二回の句会では次の句が印象に残った。
  夏めくや社宅の子ども満ち満ちて
 一茶なら「村いっぱいの子ども」となるが、「社宅」としているところが宜しい。ただ、最近は少子化が進み、巷で「満ち満ちて」いる姿は見かけない。見かけるところは学習塾だけ。この句を少子化担当大臣に贈りたい。
  北窓と妻の襟元開きたり
 「北窓」も「襟元」の開きすぎにはご注意を。露骨に「妻の胸元」としてほしかったな。いや、個人的感情にほかならぬ。
  人妻の春愁たらすメンチカツ
 「吾妻」でもなく、「悪妻」でもなく。「人妻」としたところに「春愁」が生きている。別に深い意味はない。じつは……。
 ざあーと俯瞰してみたが、俳句は座の文学と言われ、互いが顔色を見て、眉間に皺を寄せて語るものではない。最近の俳句はどうもまじめすぎるきらいがある。句会を続けるところに意義があり、もっと自由な発想で、若者が俳句界に新たな風穴を開けてもらいたい、と願うばかり。次号も楽しみだ。

追伸
浅沼さんが「静脈血栓のため退院加療中」と書いてあったが、昨日13日法大国文学会でお会いした。とても元気で安心した。浅沼さんの『近世文学研究』の原稿をつい期待してしまう。
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