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 今年も桜が咲いた。桜を詠んだ名句が多い。愚生の好きな桜の句を紹介しよう。
  一僕とぼくぼくありく花見哉  季吟
 桜を眺めながら、僕(しもべ)と「ぼくぼく」と歩きながら、咲いたばかりの桜に興じてみよう。貞門時代の句らしく、従者の「一僕」とのんびりとを指す「ぼくぼく」とを云い掛けているが、同音のくり返しが春の長閑さを演出する。花見はこうしてゆったりとした気分で観たいもの。
  これはこれはとばかり花の吉野山 貞室
 
古浄瑠璃のセリフ「これはこれは」を使い、桜の名所吉野山の桜の見事さをいい当ている。東京の桜が満開となり、この句の通りである。
 
歌仙俳諧では「二花三月」を詠むことになっている。「花」といえば「桜」をさすが、「桜」というと「花」の句にはならず。いっけん摩訶不思議である。とまれ、桜の見事さは言葉に表せない。「これはこれは」に尽きる。花見は静かに堪能したい。だが、実態は 。 少し前までは、公園の桜の下で筵を敷いて、カラオケまで持ち寄って、わからぬ歌をうたっている愚か者までいた。まぁ軍歌ならともかく。桜を見に来たのか、カラオケに来たのか。これはいただけない。 同じ桜宴会でもこの句は違う。
  木のもとに汁も鱠も桜かな  芭蕉
 花見の席の膳には、汁や鱠があり、そこかしこに桜が散っている。現代の花見と異なり、どこかしらこの句には静けさが感じられる。
  さまざまの事思ひ出す桜哉  芭蕉
 この芭蕉吟を直訳すると、桜をみているとさまざまな事が思い出される、と平易な句である。この句の背景は、芭蕉が若き日に仕えた藤堂良忠(俳号:蝉吟)が夭折し、遺児探丸が主催した花見の席で詠まれたものである。芭蕉は、青年時代を回顧し、青雲の志を心に抱いていたが、蝉吟の突然の死によって、野望は挫折した。というより、結果から見れば、蝉吟の死によって、才能を開花し、芭蕉が一躍有名になったのだ。おそらく芭蕉はそれを自覚していただろう。それにしても「さまざまの事」は、芭蕉にとってさぞかし辛い思い出であったはず。
 日本人は、何故か桜の散る姿に惹かれるらしいが、老境に差し掛かった愚生は、いま目の前で咲き誇っている桜を静かに直視してみようか、とふっと考えた。
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